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ジャック・ロンドン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ジャック・ロンドン
Jack London
生誕 ジョン・グリフィス・チェイニー
John Griffith Chaney
1876年1月12日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンフランシスコ
別名 フリスコ・キッド、セーラー・キッド、セーラー・ジャック(愛称)[1]
死没 (1916-11-22) 1916年11月22日(40歳没)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州グレン・エレン(英語版)
職業 小説家、ジャーナリスト、エッセイスト
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
文学活動 リアリズム、自然主義文学
代表作 『野性の呼び声』(1903年)
『海の狼(英語版)』(1904年)
『白牙』(1906年)
『鉄の踵(英語版)』(1908年)
『マーティン・イーデン(英語版)』(1909年)
デビュー作 『狼の息子:極北の物語』
(The Son of the Wolf: Tales of the Far North, 1900年)[2]
配偶者 エリザベス・マッダーン(1900年 - 1904年、離婚)
チャーミアン・キトリッジ(英語版)(1905年 - 1916年、死別)
子供 ジョアン・ロンドン(英語版)、ベッキー・ロンドン
署名
ウィキポータル 文学
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ジャック・ロンドン(英: Jack London、1876年1月12日 - 1916年11月22日)は、アメリカ合衆国の作家、小説家、ジャーナリスト、社会活動家。出生名はジョン・グリフィス・チェイニー(John Griffith Chaney)[2]。代表作に、クロンダイク・ゴールドラッシュ時代のアラスカでの体験をもとにした『野性の呼び声』(1903年)[注 1]や『白い牙』(1906年)のほか、短編「火を熾す」(1908年)などがある[3]。

サンフランシスコの文学グループ「ザ・クロウド」に所属し、動物福祉や労働権の主張、社会主義運動に参加した[4]。こうした思想はディストピア小説『鉄の踵(英語版)』(1908年)や『どん底の人びと』(1903年)などの作品でも扱われている[5][6]。約20年間の執筆活動の中で、40冊以上の書籍や1000本を超える記事・短編を執筆した[7]。

生涯

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生い立ちと家庭環境

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1876年、カリフォルニア州サンフランシスコで生まれる[8]。音楽教師や心霊術師として活動していたフローラ・ウェルマンと、占星術師で弁護士のウィリアム・チェイニーとの間に生まれたとされる[9][10]。当時フローラはチェイニーと同居しており、両者が正式に法的婚姻関係にあったかは不明であるものの、チェイニーは回想録でフローラを「妻」と呼んでおり、フローラ自身も「フローレンス・ウェルマン・チェイニー」の名義で広告を掲載していた[11]。伝記作家のクラリス・スタッスはチェイニーをロンドンの実父とみなしている[11]。

チェイニーはフローラの妊娠を知ると中絶を要求して立ち去り、出生後も自らの子と認知しなかった[10]。フローラはチェイニーから子供への責任を拒絶され自殺未遂を起こし[12]精神的に不安定となり、出産後は隣人で元奴隷の黒人女性バージニア・プレンティス(英語版)が乳母となった[9][13][14]。ロンドンは、プレンティスについて、幼少期における最大の愛情の源泉だったと回顧している[12]。

1877年、母フローラは南北戦争の退役軍人で大工のジョン・ロンドンと結婚した[9][15]。義父の姓を名乗り、「ジャック・ロンドン」として育てられたが、一家の経済状況は不安定であり、農場経営や下宿屋などの事業を転々とする困窮した環境で育った[9]。ロンドンは長らくジョンを実父と信じて育ったが、1897年、カリフォルニア大学バークレー校の学生だった時に、当時の新聞記事から実父の存在を知り、チェイニーへ手紙を送った[10][16]。しかしチェイニーは、実父であることを否定し、中絶の強要もフローラによる中傷であると主張した[16][10]。

作家として活動をし始めた後も、フローラや乳母プレンティスに住居や生活費を提供し続けた[9][13]。一方で、実父をめぐる経緯や母の心霊主義への傾倒から、後年は一定の距離を置くようになった[9]。

少年時代と労働体験(1886年 - 1896年)

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一家は農園や牧場を転々とした後、1886年にオークランドへ転居した[8]。近隣に居住したプレンティス家は幼少期のロンドンの養育を支え[13][14][16]、ロンドンは少年期の多くを同家で過ごしながら、ともに第一アフリカ系メソジスト・エピスコパル教会(英語版)の礼拝に通った[17]。文学研究者のジーン・キャンベル・リースマンやジョン・ダドリーらは、アフリカ系アメリカ人の養母プレンティスとの関係が、後年に見られるロンドンの複雑な人種観に影響を与えたと指摘している[14][18][19]。

この頃、家計を助けるため新聞配達や氷の配達、ボウリング場のピン立てなどの労働に従事した[20]。1885年にはウィーダの長編小説『シグナ』を読み、後年、この読書体験がこれが自身の文学的成功をもたらした要因の一つであったと回想している[21][8]。翌1886年、オークランド市立図書館(英語版)にて、後にカリフォルニア州初の桂冠詩人となる司書アイナ・クールブリス(英語版)と出会い、読書の勧めを受けた[22][8]。のちにロンドンは彼女への手紙の中で、「私の選んだ本を最初に褒めてくれたのはあなたでした」と述べている[22]。

10歳の頃から、ウォーターフロントの酒場であるハインホルズ・ファースト・アンド・ラスト・チャンス・サローン(英語版)に出入りし始めた[23][24]。店主のジョニー・ハインホルドはロンドンに辞書を買い与え、17歳の時には大学進学の学費を貸与した[23][25]。この酒場で出会った船長は、後の小説『海の狼(英語版)』の登場人物ウルフ・ラーセンのモデルとなっている[26][27]。

1889年頃(13歳時)からは鮭缶詰工場で1日12時間から18時間におよぶ労働に従事し始めた[28][20]。1891年にオークランドのコール小学校を卒業した後も工場勤務を続けたが[8]。、生活の困窮は続いた。一方、乳母プレンティスの家庭は比較的生活が安定しており、15歳の時にカキ密漁者からスループ船を購入する際、彼女から資金の貸与を受けた[29][13][30][20]。カキの密漁を始めると、港の荒くれ者たちの間で「カキ床の王子」の異名で呼ばれるようになった[20][31]。

1892年、密漁を取り締まる水産取締官となった[8][32]。翌1893年にはアザラシ狩り船・ソフィア・サザーランド号の乗組員として太平洋を横断し、日本や小笠原諸島へ渡航した[33][8]。帰国後、黄麻工場で1日13時間の労働に従事していた17歳の時、母の勧めで新聞社の描写記事コンテストに応募した。航海中の体験をもとに執筆した『日本沿海台風記』は1等を獲得し、これが最初に出版された作品となった。2等・3等はカリフォルニア大学やスタンフォード大学の現役学生であった中、当時ロンドンは小学校までの正規教育しか受けていなかった[34][35]。

1894年、世界恐慌(1893年恐慌)の最中にコクシーの軍隊(英語版)に参加した。しかし途中で離脱し、無賃乗車を繰り返しながらホーボーとして全米各地やカナダを流浪した[8][20][36]。同年6月、ニューヨーク州バッファロー近郊で私服警官に拘束される。1人わずか15秒程度の略式裁判により浮浪罪で有罪となり、エリー郡刑務所に30日間収監された。1907年、これらの経験に基づいた『ザ・ロード』が刊行されている[8][37][38]。

1895年に帰郷すると、19歳でオークランド高校に入学し、校内誌『イージス』に投稿を重ねた[8][39]。同誌へ寄稿した文章や短編は、後にジェームズ・E・シッソンらによってまとめられ、1981年に『Jack London's articles and short stories in Aegis』として刊行されている[40][41]。一家の経済面からはフルタイム労働が望まれていたものの、母フローラは高校進学を支持した[9]。

1896年、入学試験に向けて1日19時間勉強し、4月には社会労働党に入党した[42]。オークランドの市役所前広場で街頭演説を行い、同年1月には『サンフランシスコ・クロニクル』において、オークランドの少年社会主義者として紹介された[43]。

クロンダイクの体験と初期の執筆(1896年 - 1904年)

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1896年9月にカリフォルニア大学バークレー校に入学したものの、経済的困窮のため翌1897年1学期で中退した[8][20]。1897年7月、クロンダイクのゴールドラッシュに参加するため出航した[8][20]。9月には、短編小説「二つの金塊」が雑誌『ジ・オウル』に掲載された[8]。翌1898年7月に壊血病のためユーコンから帰国した。周囲は郵便局員への就職を望んだが、母フローラは自宅で執筆に専念することを支持した[9]。ロンドンは、クロンダイクでの体験について、後に「自分が自分自身を見出し、物事の見識(視点)を得た場所だった」と回想している[20][44][45][20]。

帰国後は1日19時間の読書と執筆を行い、1899年には、短編・エッセイ・詩など計61篇の作品を執筆した[8][45]。1900年には初の短編集『狼の息子』が出版された[46]。同年、数学の家庭教師だったベス・マッダーンと結婚して長女ジョアン(英語版)が誕生した[20][8]。自宅は「ザ・クラウド」と呼ばれる地元のボヘミアン集団が集うサロンとなり[47]、詩人のジョージ・スターリング(英語版)や作家のアンブローズ・ビアス らが集まっては作品の議論や酒宴を共にした[48][45]。

1900年1月、ボストンの出版社へ充てた手紙の中で、「私はサケ漁師であり、カキの密漁者であり、スクーナー船の乗組員であり、水産取締官、そして港湾労働者であった」と述べ、「独学であり、自分以外の指導者は持たなかった」と書いている[49]。しかし研究者のジョナ・ラスキンは、アイナ・クールブリスらの支援や正規教育の経験を踏まえ、こうした自伝的発言には作家としての自己神話化(セルフプロデュース)が含まれていると指摘している[49]。

カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの『共産党宣言』などの社会主義文献に影響を受けて[50]、1901年にアメリカ社会党に入党し、オークランド市長選挙に2度立候補したがいずれも落選している[42]。

1901年12月15日にはのちに代表作となる「火を熾す」を完成させ(翌1902年5月掲載)[8]、1902年には「キッシュ、キッシュの息子」、「悪魔—一頭の犬」など犬や過酷な自然をテーマとした作品群を各誌に発表した[51]。1902年10月には児童小説『ダズラー号の航海』が単行本化されている[8][51]。

1902年にはイーストエンドの貧民街(スラム)にて潜入取材を行い、翌1903年に『どん底の人びと』として刊行された[52]。取材中の10月20日には次女ベスが誕生している[8]。自ら体験者となって取材を行う第一人称ジャーナリズムの先駆的作品とみなされており、後年のジョージ・オーウェルらのルポルタージュ手法にも影響を与えたとされる[53][54]。

1902年12月1日、短編として書き始めた『野性の呼び声』は[8][55]、翌1903年に『サタデー・イブニング・ポスト』に連載され[20][56]、マクミラン出版社から単行本として出版された[56]。1904年には『センチュリー・マガジン(英語版)』で長編『海の狼(英語版)』が連載された[8]。

日露戦争の取材(1904年)

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1904年1月7日、ウィリアム・ランドルフ・ハーストの依頼により、『サンフランシスコ・エグザミナー』の特派員として日露戦争の取材へ向かった[57][58]。しかし、日本軍の報道規制と移動制限により東京での滞留を強いられ[59][57]、朝鮮半島へ向かう途中の門司では海軍基地付近での撮影からスパイ容疑で一時拘束された(同行記者の支援やアメリカ公使の介入により釈放)[57][58]。

その後、朝鮮半島へ渡り鴨緑江会戦の観戦を許可されたものの、戦場から遠く離れた高台からの観察にとどまり、検閲や情報制限に対して強い不満を抱いた[59][58]。さらに5月には、馬の餌を巡り現地の馬夫を殴打して軍事法廷にかけられそうになったが、セオドア・ルーズベルト米大統領の介入によって釈放され、同年半ばに帰国した[58]。約3か月の滞在で多数の写真や約20本の報告記事を残している[57][60]。

ビューティ・ランチの開拓と多角的な活動(1905年 - 1913年)

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1905年11月、前妻ベシーとの離婚成立の翌日にチャーミアン・キトリッジ(英語版)と再婚した[8]。同年6月には、カリフォルニア州グレン・エレン(英語版)の土地を購入し、のちの買収や農地追加を経て敷地は約1,000エーカー(約4 km²)に拡大した。義姉のエリザ・ロンドン・シェパードを農場管理人に任命した、農業経営や土壌改良の実験に取り組んだ[8][61][62]。

政治・社会活動の面では、1905年にロシア革命を支持して学生社会主義同盟(英語版)(ISS)の立ち上げに参加し、1906年には殺人共謀罪で起訴された西部鉱夫組合の指導者ビル・ヘイウッド(英語版)らの救済を働きかけた[42]。同年4月18日のサンフランシスコ地震では『コリアーズ』の特派員として現地へ急行し、目撃手記「一目撃者の物語」を寄稿している[63]。

1907年、世界一周の航海を目指して自ら設計・建造したスナーク号でサンフランシスコを出港した[8][64][65]。しかし、建造費の超過や船の水漏れに加え、マラリアや原因不明の疾患などの健康悪化に見舞われ、1908年12月にオーストラリアのシドニーで旅を終えた[45][66]。人類学者のナンシー・ルトケハウスによれば、少年時代にハーマン・メルヴィルの『タイピー』に抱いた憧れと現実のギャップに直面したこの経験が、のちに紀行文『スナーク号の航海』などに記録・反映された[65]。

帰国後の1908年、寡頭政治と労働運動の抵抗を描いたディストピア政治小説『鉄の踵』が刊行され、のちに初期ディストピア小説として位置づけられている[67][68]。

1911年からは巨大な石造邸宅であるウルフ・ハウス(英語版)の建設に着手したが、1913年8月22日、完成直前で火災により全焼した[8][69]。当時は放火が疑われていたが、後年の調査により自然発火によるものであったと結論づけられている[49]。さらに1913年7月に虫垂切除手術を受けた際、主治医から深刻な腎臓機能障害を宣告された[8][70]。

ボクシング取材と人種観(1908年 - 1910年)

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作家活動と並行して、スポーツジャーナリストとしても活動した[46][71][72]。自身も1890年代からボクシングを習い、生涯にわたり友人や世界王者ともスパーリングを行っていた。ボクシングを題材とした短編小説『アビスマル・ブルート』などを執筆したほか、1901年のジェームス・J・ジェフリーズ対ガス・ルーリン(英語版)戦や1905年のジミー・ブリット(英語版)対バトリング・ネルソン(英語版)戦などの観戦記を新聞各紙に寄稿した[71]。

1908年、ロンドンはシドニーで行われたジャック・ジョンソン対トミー・バーンズの世界ヘビー級選手権試合を取材し、初の黒人ヘビー級王者となったジョンソンの勝利を目の当たりにした。ロンドンは観戦記の中で、すでに引退していた前王者の白人ジム・ジェフリーズに対し「アルファルファ農場を出て、ジョンソンの笑顔を消し去るべきだ(Jeff, it's up to you.)」と復帰を促す呼びかけを行った[71][72]。

1910年7月4日、リノで開催されたジョンソン対ジェフリーズ戦において、ロンドンは事前の記事でジェフリーズを支持し、人種主義的な言葉を用いて試合を分析した。しかし、ジョンソンが勝利を収めると、ロンドンは敗戦の事実を認め、ジョンソンを称賛する記事を執筆した[71][72]。文学研究者のジーン・キャンベル・リースマンは、ロンドンのこうしたボクシング報道における人種記述について、差別的な言説と試合結果に対する公正な評価が混在しており、その人種観には一貫性のなさや矛盾が見られると分析している[71]。

晩年・離党・死去(1914年 - 1916年)

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1914年4月、『コリアーズ』の特派員としてメキシコ革命の取材へ向かい、陸軍省から反戦パンフレットを執筆したという疑われて特派員証の交付が一時遅れたが、誤解が解けた後にベラクルスへ上陸し、現地から計7本のルポルタージュを寄稿した[73][8][74]。1916年3月には、党における情熱や闘志の欠如、ならびに階級闘争への強調の喪失を理由にアメリカ社会党を離党した[8][42][75]。

晩年のロンドンは、痛風や歯槽膿漏、重度の腎臓病(尿毒症)を患っており[76][70]、1916年11月22日、腎臓結石の激痛のために処方されていた阿片を服用したのち、グレンエレンの牧場で昏睡状態に陥り40歳で死去した[8][77]。死亡診断書上の直接死因は尿毒症と記載された[45]。

しかし、1938年にアーヴィング・ストーンが著した伝記などの影響で、晩年の薬物乱用による自殺(または過剰摂取)説が長年取り沙汰されていた[70][78][79]。近年の伝記作家アール・レイバーらは、医師や薬剤師による医学的証拠を精査して病死説を主張したものの、痛みの緩和を目的とした服薬に起因する偶発的な過剰摂取や意図的な服用の可能性を完全には排除しきれず、議論が続いていた[45]。

だが2022年、サムエル・メリット大学(英語版)などの国際研究チームが遺品(薬瓶や救急箱など)に残された成分を生化学分析した結果、検出されたのは市販の鎮咳薬や鎮痛剤の常用成分のみであり、過剰摂取や自殺を示す証拠は認められなかった。これにより、死因は腎不全による病死であるという解釈が科学的にも裏付けられた[80][77][78]。

主な日本語訳

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辻井栄滋の翻訳・研究

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  • 『ジャック・ロンドン選集1 - 野性の呼び声 どん底の人々』(本の友社)
  • 『ジャック・ロンドン選集2 - ボクシング小説集 白牙』(本の友社)
  • 『ジャック・ロンドン選集3 - 太古の呼び声 アメリカ浮浪記』(本の友社)
  • 『ジャック・ロンドン選集4 - マーティン・イーデン』(本の友社)
  • 『ジャック・ロンドン選集5 - ジョン・バーリコーン 赤死病 エッセイ』(本の友社)
  • 『ジャック・ロンドン選集6 - 短篇集』(本の友社)
  • 『赤死病』(新樹社 / 白水Uブックス)
  • 『マーティン・イーデン』 辻井栄滋訳(白水社〈白水Uブックス〉)
  • 『ジョン・バーリコーン:酒と冒険 of 自伝的物語』(中公文庫)
  • 『ジャック・ロンドン大予言』(晶文社)
  • 『ジャック・ロンドン自伝的物語』(晶文社)
  • 『アメリカ浮浪記』 辻井栄滋訳(新樹社)
  • 『太古の呼び声』 辻井栄滋訳(平凡社)
  • 『極北の地にて』 辻井栄滋・大矢健訳(新樹社)
  • 『アメリカ残酷物語』 辻井栄滋・森孝晴共訳(新樹社)

日本でのアニメ化作品

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ジャック・ロンドンが登場するフィクション作品

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  • 『新スタートレック』第125話「タイム・スリップ・エイリアン」 - 19世紀のアメリカを舞台に怪現象の謎に挑む。その中で、ホテルマンをしているジャック・ロンドンと出会う。

関連文献・映画

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関連文献

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  • アーヴィング・ストーン『馬に乗った水夫 ジャック・ロンドン、創作と冒険と革命』橋本福夫訳、早川書房、1968年(新版2006年)
  • ラス・キングマン『地球を駆けぬけたカリフォルニア作家 写真版ジャック・ロンドンの生涯』辻井栄滋訳、本の友社、2004年
  • 辻井栄滋監修・編『ジャック・ロンドン讃歌』明文書房、2009年
  • 森孝晴『ジャック・ロンドンと鹿児島-その相互の影響関係』高城書房、2014年

映画

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  • 『マーティン・エデン』(2019年、イタリア・フランス・ドイツ合作、ピエトロ・マルチェッロ監督) - ジャック・ロンドンの自伝的小説をイタリアを舞台に映画化。

脚注

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注釈

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  1. ↑ 『荒野の呼び声』の訳題もあり

出典

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  1. ↑ Phillips, Susan A. (2019年10月17日). “Following the Moniker Trail: Hobo Graffiti and the Strange Tale of Jack London, Skysail, and A-No. 1”. Boom California. University of California Press. 2026年8月20日閲覧。
  2. 1 2 “Jack London”. Encyclopædia Britannica (英語). 2026年8月20日閲覧.
  3. ↑ London, Jack (1998-09-14) (英語). The Call of the Wild, White Fang, and To Build a Fire. Modern Library. ISBN 978-0-375-75251-3
  4. ↑ Beers, Diane L. (2006). For the Prevention of Cruelty: The History and Legacy of Animal Rights Activism in the United States. Athens: Swallow Press/Ohio University Press. pp. 105–107. ISBN 978-0804010870
  5. ↑ Swift, John N. (2002). “Jack London's "The Unparalleled Invasion": Germ Warfare, Eugenics, and Cultural Hygiene” (英語). American Literary Realism 35 (1): 59–71. JSTOR 27747084.
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参考文献

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関連項目

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外部リンク

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