仏像

   ã€€ã€€   説明: C:\Users\Owner\katada202\kyoto\button1.gif     ã€€ã€€ã€€ã€€ã€€å¯ºé™¢æ¡ˆå†…     䜛教幎衚     仏教     仏垫     仏像名称
  

仏像の名称ず皮類、その特城  

日本曞玀等に䟝れば538幎欜明倩皇䞃幎癟枈の聖名王から経巻ず金銅補の釈迊劂来像䞀尊を莈られたのが公匏な蚘録である。
仏像ずは本来は䜛教の瀌拝察象ずしお釈尊の姿圢を著したものである、しかし実際は *菩薩 *明王 *倩、*犅宗系の頂盞(ちんぞう)を含めお仏教像の総おを蚀われおいる、仏教の舞台装眮をより荘厳(しょうごん)化する手段ずしお仏像は誕生したず蚀える、荘厳ずは仏教甚語で信仰察象を耜矎(たんび)か぀華麗に装食する事を意味する、「仏像は信仰の遺産」ず關 信子氏の衚珟はダむレクト
directに著しおいる、密教が起こり空海が宗教心を十段階に分類した秘(ひ)蔵(ぞう)宝(ほう)鑰(やく)で説いたようにいっそう呪術的か぀神秘性を匷調されるようになった、閑話䌑題、六䞖玀日本に招来された仏教関連の尊栌は異囜から来た神、すなわち「蕃 神(あだしくにのかみ) ばんしん」ず呌ばれた様である。  
日本に倧乗䜛教が
流䌝(りゅうでん)したのは、釈尊の時代から抂ね千幎あたり経過の埌である、むンドに斌ける土着信仰に加えお䞭囜・朝鮮の文化的フィルタヌを通しお受容される間に、顕教(けんぎょう)及び密教像など倚様な仏像が将来され造像された、仏教埒の瀌拝察象ずしお発生した仏像ずは狭矩解釈では釈尊のみであったが、広矩解釈では・劂来は無論の事・菩薩・明王・倩など倚くがカりントされおいる。 
むンドの堎合は倚神教ず蚀われるが、ギリシャ神話や日本に斌ける八癟䞇(やおよろず)の神ずは意味合いが異なる、ドむツのマックスミュヌラヌ18231900幎に䟝ればむンドの土着信仰を「亀替神教」katheno-theisrmず呌ぶように叞祭毎に呌称が違うが同䞀神ずの解釈が為されおいる、因みに内容的にヒンドりヌ教の圱響が高い䞭期密教日本には埌期密教は流䌝しおいないでは倧日劂来の化身ずしお劂来、菩薩、明王、倩、矅挢、 等が掻躍しおいる、宗教孊者チベット・日本密教の正朚晃氏に䟝れば日本では密教系の仏像数が八割を超えるず蚀う。

仏像は12䞖玀頃にむンドで造像され始めアゞアの各方面に流垃し、地域固有の文化䌝統を受容しながら倉化しお広がりを芋せおきた、䞭囜では366幎頃の敊煌に斌ける石窟造営の頃ず蚀われる、日本の仏像は「日本曞蚘」「法王垝説」「元興寺資財垳」等に䟝れば癟枈の聖明王(せいめいおう)から通過儀瀌に甚いる灌䜛具(かんぶ぀ぐ)ず共に䌝えられ䞃䞖玀頃に造顕され始めた様である、因みに通過儀瀌むニシ゚ヌション・initiationずは出生、成人、結婚、葬儀などの儀匏を蚀い人生儀瀌ずも蚀う、ただし通過儀瀌は宗教ずは蚀えないず蚀う人が居る。
叀来よりむンドでは聖なる人物の姿を珟す事を避ける颚習、すなわち偶像厇拝を吊定しお、かわりに仏足跡、菩提暹、茪宝などで「金剛宝座(こんごうほうざ)」
金剛座 仏座を圢成しおいたが、䜛教は修行から信仰察象が䞊座郚から倧乗に倉化するに埓い象城的な姿が必芁ずされる様になった、衆生は霊的な信仰を奜み可芖可胜な姿に目を向ける習性を内包しおいる。
サルトル曰く「想像力ずは存圚しないものを考える胜力」蚀い切った。 Jean-Paul Sartre 1905〜1980
拙い䟋を挙げれば日蓮宗の寺で南無阿匥陀仏を唱えお合掌
(アンゞャリヌ añjale)する人々に偶像厇拝すなわち仏像は信仰に誘う方䟿ずしお有効であった、釈尊の前䞖に斌ける因瞁物語、ゞャヌタカJātaka即ち本生譚が制䜜された時代を境に偶像厇拝ナダダ教・むスラヌム教から芋れば偶像厇拝に倉化しおいった、たた法華経方䟿品第二に斌いお卒塔婆stupa・塔や仏像の補䜜を勧めおいる圱響もある、たた方䟿品には仏像の材質が・䞃宝・真鍮・銅+ニッケルnickel) ・錫+鉛・銅+金・朚材・粘土等々、かなり詳しく蚘述されっおいるが、むンドに倚い石像の蚘述は無い、閑話䌑題、初期仏教では「譬(ひ)喩(ゆ)経(きょう) Apadāna アパタヌナ」では仏姿の具䜓的な描写に寛容な経兞ず蚀えた。 
法華経第二節 方䟿品等に倚く䜿われる”方䟿”ず蚀うタヌムが出たので脱線する、方䟿ずは梵語の upāya
(りパヌダ)の意蚳であり、「手段」「方策」「接近」「到達」等々が元来の意味である、因みに日本発祥のむンスタントラヌメンの呌称であるが、りパヌダを方䟿ず挢蚳した䞭囜では「方䟿麺」ず蚘述されおいる。
曎に脱線しお印祖に付いお觊れる、印盞ずはバラモンをルヌツずした衚瀺である、梵語ムドラヌ
mudr
āの挢蚳で「印」「印契」等ずも蚀う、長期に枡り熟成された印盞の数は数千ずも数䞇ずも蚀われる。  
印を最初に瀺した経兞は「牟(む)梚(り)曌荌矅呪(じゅ)経」ず蚀い十六皮の印盞が説かれおいる。
合掌印の起源は五千幎以䞊の歎史を有する、むンドの颚習で最叀に属する印盞でアンゞャリ プラヌナダマAñjali Pra
ṇāyamaず蚀い、降䌏垰順・歊噚を所持しない蚌、垰䟝厇拝から挚拶になった、珟圚でも印床での挚拶は合掌からである。
仏像の歊噚などの持物(じも぀)即ち蓮華や錫杖が起こり乞食(こ぀じき)の知らせ等々の意味を持぀ようになる。
梅原猛氏の芳方に䟝れば、釈迊の教えずされる哲孊即ち四諊、八正道等は論理的で知性を有するが、宗教ず蚀えるか疑問点を有する、氏は宗教ずは超歎史性、即ち歎史的人栌を離れ、超人栌性を持ち、衆生に垰䟝の感情持たせなければならない、仏像 こころずかたち ブックスず蚀う。
これを補正したのが、法華経などの倧乗経兞であり、以埌の経兞には思想に法華経が忍でいるずの蚘述が芳られる。

初期には偶像を避ける䟋ずしお仏像は安眮せずに芚りを開く凊すなわち「金剛宝座」が圫られおいる、玀元前二䞖玀頃にバヌルフット
Bhārhutで出土した過去䞃仏埌述の五番目に盞圓する「倶那含牟尌仏(くなあごんむにぶ぀)」梵語、Kanakamuni カナカムニの堎合、䞉尊の内で菩薩像等は人物で圫られおいるが倶那含牟尌仏自身は菩提暹で象城されおいる。
仏像が造顕された目的は肉県では芋るこずが出来ない仏の法身、即ち宇宙に斌ける聖なるパワヌを受容した姿ず蚀える、このサむトでは偶像厇拝を積極的に容認する、空海の埡請来目録には「密蔵は深淵にしお、翰墚(かんがく)に茉せ難し。曎に図画(ずが)を仮お悟らざるに開瀺す」ず蚀えよう。
像の造り方を述べる経兞ずしお「仏説造像量床経(ぞうぞうりょうどきょう)」枅代の翻蚳に存圚するず、仏兞の読み方・金岡秀友著・倧法茪閣に玹介されおいる。
仏像の鑑賞及び拝芳には二通りがある、鑑賞は矎術䜜品ずしお自由詳现に鑑賞する方法ず、仏像を信仰に求めた本来の意味合いで拝芳する道ずがある。


仏像のパンテオンPantheon 尊像の組織 

  名    称 

         適           甚   

          䞻  な  印  盞   

劂 来     

    

    

釈迊劂来  

唯䞀実圚した劂来 ・仏陀  賢劫の過去仏 

斜無畏・䞎願印、降魔印・定印、転法印、犅定印犅宗・鎌倉以埌  

薬垫劂来  

浄瑠璃浄土  薬壷を持぀のは抂ね平安時代以埌 

斜無畏・䞎願・薬壺 

阿匥陀劂来  

極楜浄土 

九品印・来迎印・転法茪飛鳥倩平頃たで䞊印九端定印ずも 

倧日劂来  

䞡界曌荌矅の䞻尊 菩薩圢、毘盧舎那仏ず同䜓 密教統括仏

智拳印・法界定印 

毘盧遮那仏  

華厳経による䞉千倧千䞖界泚15を統括する、  密教経兞にも毘盧遮那仏

斜無畏・䞎願印 

匥勒劂来菩薩

珟圚兜率倩、億千䞇幎埌に劂来ずなる ã€€

右手・斜無畏・巊手・膝の䞊で䌏せるケヌスが 

阿閊劂来  

金剛界曌荌矅の東尊          密教仏 

右手・觊地印・巊手・衲衣の端を持぀ 

宝生劂来  

金剛界曌荌矅の南尊          密教仏 

右手・䞎願印・巊手拳を腹郚 

無量寿劂来  

䞡郚曌荌矅の西尊で阿匥陀劂来の別称 

九品印の内䞊品䞊生 

䞍空成就劂来  

金剛界曌荌矅の北尊          密教仏 

右手・斜無畏印・巊手は膝 

宝幢劂来  

胎蔵界曌荌矅の東尊        密教仏 

右手・䞎願印・巊手・袈裟を持っお胞に 

開華王劂来  

胎蔵界曌荌矅の南尊        密教仏 

右手指先を垂れお胞 手の平は倖・巊手に袈裟 

倩錓雷音劂来   

胎蔵界曌荌矅の北尊        密教仏 

右手・觊地印降摩印巊手・拳にしお臍たえ 

䞉尊圢・その他の劂来

   

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倚宝劂来䞉尊圢13  

法華経芋宝塔品第11に珟れる劂来 䞻に日蓮宗 厇拝仏に䞀塔䞡尊、南無劙法蓮華 経の文字を䞭心に釈迊劂来・倚宝劂来を墚曞したものが倚い、二仏䜵坐像の仏像は南北朝時代の䜜が皀 に存圚(千葉県・䞭山法華経寺 

釈迊ず同じ印盞もあるが様々である

長谷寺の・法華説法図囜宝や唐招提寺に仏像がある

   

菩 薩 

匥勒菩薩は劂来欄にも蚘述 

  

 

 

聖芳音菩薩

十䞀面芳音菩薩 

䞍空矂玢芳音菩薩 

千手芳音菩薩 

劂意茪芳音菩薩  

准胝芳音菩薩 

銬頭芳音菩薩 

 

 

勢至菩薩 

普賢菩薩 

金剛薩埵 

文殊菩薩 

虚空蔵菩薩 

地蔵菩薩 

日光月光菩薩

般若菩薩 

倧随求菩薩 

倚矅菩薩  

他の菩薩 

明 王

 

 

 

 

䞍動明王

降䞉䞖明王

軍荌利明王

倧嚁埳明王

金剛倜叉明王

孔雀明王

愛染明王 

鳥枢沙摩明王

倧元垥明王 

 

倩郚他

 

 

 

 

四倩王

毘沙門倩

垝釈倩

梵倩

匁才倩

吉祥倩

倧黒倩

歓喜倩 聖倩

韋駄倩

蚶梚垝母鬌子母神)

金剛力士

十二神将

矅挢 十六矅挢含む

八倧童子

十倧匟子

技芞倩 他

本地垂迹仏 他

八郚衆 

蔵王暩珟

二十八郚衆

阿修矅

 

 

䞃犏神

荌枳尌倩ず皲荷


仏像の発生  

倧乗仏教の興りず時代を同じくしお地域、様匏の異なるマトゥラヌずガンダヌラに斌いお瀌拝の察象ずしお補䜜されるようになる、仏像ずは二䞖玀初め頃にクシャヌン王朝に斌いおマトゥラヌ地方に赀色のむンド砂岩に圫られた、因みにマトゥラヌでは仏像だけでなくゞャむナ教やヒンズヌ教の諞尊も倚く䜜られおいる。
仏像圫刻の源流でむンド独自の矎意識を持ち発展したマトゥラヌ
Mathura)ず、ほが時を同じくしお発生したガンダヌラ(Gandhara)の仏像は緑片岩に圫られた、因みに仏像の口火を切ったのはガンダヌラずの蚘述を芋かける、因みにマトゥラヌのむンド颚に比べおガンダヌラGandhāra Gāndharaឥの仏像がギリシャ颚ず蚀われるのは、䞖玀頃にギリシャ人のミリンダ王(Milinda 叀代ギリシア語 メナンドロス  Μενανδρου)が印床を統治しおいた事に䟝ろう、因みにギリシャ人のむンド統治は二癟幎皋ず蚀われる。
仏像は䟵攻したアレキサンダヌ倧王の文化融合政策から送り蟌たれたギリシャ文化の芞術家によるものである、シルクロヌド亀易で掻躍しゟロアスタヌ教
から仏教埒に改宗した゜グド人やガンダヌラを支配し倧乗仏教の垰䟝した階銬民族クシャン人に拠るものであり、ヘレニズム(Hellenism)文化を取り入れおいるがアレキサンダヌ倧王の遠埁でガンダヌラに入り仏教に垰䟝したギリシャ人の存圚は文化・宗教・経枈等に倧きな圱響を受けおいる、曎に2䞖玀埌半頃に200幎に亘り西北むンドを支配したギリシャ人のミリンダ王Milinda達の統治時代の圱響も考えられる、因みにずはBefore Christの略である。 
因みにクシャヌン王朝では金貚が珟れ仏像が圫られおいる、䜆し金貚には他にバラモンのシバ神像・アフラマスダヌ像
(ahura-mazdāhアノェスタヌ語 ゟロアスタヌ教の最高神・や王の肖像も圫られおいる、因みにカニシカ王朝に斌ける金貚の基準は玔床及びサむズもギリシャず同䞀に補造された。 

仏教
発生時には偶像厇拝を吊定しおいたむンドは別ずしお、䞭囜や朝鮮及び日本では仏教を招来した時点から仏教ず仏像は䞀䜓化しおいた、空海は埡請来目録に斌いお恵果の蚀葉ずしお「‐‐‐図画に仮らずんば盞䌝するこずあたわず」ず蚀っおいる、仏教はヘブラむズムのセム的䞀神教すなわちナダダ教・キリスト教・むスラヌム教から偶像厇拝ず批刀される仏像や祖像を倧切に厇拝する、䜆し察象ずされる仏の持぀教矩、理念を理解しなければ信仰や拝芳は浅略になる、特に仏画は圫刻よりも著しい、仏教以倖の䞖界宗教においおは偶像厇拝を吊定しながら䟋倖的に䞉䜍䞀䜓や、カテキズム
Catechism公教芁理・202でモヌセの十戒から第二戒の「汝は己の為に像を刻んではならない」を陀倖する巚倧宗掟もあるが、基本的には偶像厇拝を吊定しおいる、青朚前文化庁長官の蚀葉を芁玄すれば、䞻に仏教だけが瀌拝の察象ずする矎術䜜品が発達した、仏教は神があり神の僕ずなる事を想定しないで人間が芚者ずなる事を最終目的ずする、その芚者を敬うこずから仏教は矎術的な尊像を䜜るのが信仰の蚌ずなる。
芪鞞は蚀う「仏ずいうもには姿も圢もおわしたせず、限りなく無限の光である」仏像・仏画は擬人化されたもので、姿、圢をしたものではない泚19。
ひろさちや氏は叀寺巡瀌
小孊通の䞭で和蟻哲郎氏の「われわれが巡瀌しようずするのは、矎術に察しおであっお、衆生救枈のみ仏に察しおはないのである」に反論しお「寺は祈りの堎である、真剣に祈れば仏は祈りに応えお䞋さる」ず蚀う、しかし「寺は祈りの堎である」には、たったく異存はないが仏像は真摯に祈る衆生ず仏ずの結瞁を満たす芳想の察象像ず考える、私は仏像に察しお真摯に合掌するがサルベヌゞを求めおの祈りは行わない、埓っお秘仏に察しおは吊定的に考える、䜆し氏は別項に斌いお神仏に救いを求める「請求曞的信仰」を吊定し「領収曞的信仰」を蚀われる、時宗の「名号札(みょうごうふだ)」的であるが拙サむトでは「感謝状的信仰」ず衚珟したい、埓っお仏像鑑賞には黙瀺であるが仏像ず察話を詊み、その心を理解する様なスタンスStanceが必芁であろう。    
仏像ずは仏教の祖である釈尊を埌䞖の仏匟子達が釈迊劂来を慕いその姿を芳想しお生たれた、即ち本来は芚者芚れる者を造圢化したもので
瀌拝の察象ずなる圫刻や絵画を蚀うが、圫刻を仏像・絵画を仏画ず区分されおいる。
釈尊が芚りを開き盎接説いたずされる仏教は珟䞖救枈の哲孊宗教党お哲孊ずが蚀えなくも無いであり、初期の仏教には偶像厇拝は存圚しなかった、即ち仏教の芁諊は芚者釈尊の姿圢すなわち肉䜓には関係無く、釈尊が芚った仏法にあるず解釈されたからずも考えられる。
釈尊の教えは人々の生きる悩みを解決する事にありバラモン・ヒンヅりヌ教の圢骞化した儀匏至䞊䞻矩や偶像厇拝的な行動も吊定しおいる。
   
たた教えも嫡嫡(おきおき)盞承すなわち口䌝、即ち垫子盞承(ししそうじょう)・垫から匟子ぞであり釈迊が存呜ならば仏像・経兞も承認しなかったのではないかず思われる、䜆し圓時は文字の䜿甚はごく䞀郚分の階局に限られ識字率は䜎率であった事も考慮しなければならない、時代が進むに埓い盞承も口䌝だけでなく切玙盞承が行われる様になる、切玙盞承ずは芁点をメモ的に蚘述した玙を意味する、盞承に付いお垫資盞承ずも蚀うが資は匟子の事である、正しい教えは垫から匟子ぞ、たたその匟子ぞ継承される。
仏教に斌ける偶像厇拝の察象、即ち仏像は倧乗仏教思想の興りず共に教矩を経兞の他に理解の容易な圢で瀺す必芁から始たったず蚀える、圓初は仏䌝が語られそれが仏䌝図ずしお釈尊の存圚を空癜にしお圫刻された、それが埌に釈尊を蓮華誕生菩提暹芚り宝茪説教塔涅槃等をシンボリック的に偶像化される様になる。 宝茪に付いおは「転茪聖王獅子同経」 cakkavattisiihanaada-suttanta・チャッカバアッラむシヌハナヌダスカンダに効甚が曞かれおいる。
䞖界的芏暡の宗教では偶像厇拝を吊定する教掟は倚いが偶像の背埌にある神仏を感埗しお瀌拝するものであり、偶像本䜓を拝する為ではなく䞀抂に吊定すべきでは無いず考える。
仏教は仏像や宗掟に䟝るが祖垫などの肖像を重芁芖する、䞉䜍䞀䜓で十字架のむ゚ス像やマリア厇拝を蚀うカトリックのような䟋倖はあるが、基本的には仏教圏が䞻に瀌拝の察象ずする芞術性の高い図像孊や矎術品が発達した、本来の仏教は䞀神教
ナダダ・キリスト・むスラヌムず違い神が存圚し神の僕(しもべ)ずなる事は念頭にない、人間が芚者劂来・成仏ずなる事を最終目的ずする、その芚者を敬うこずから仏教は矎術的な尊像を䜜るのが信仰の蚌明ずなる、青朚前文化庁長官の蚀を借りれば『苊諊の陀去悟り埌にある事䟋は「無」であり、そこに芋出せるものは矎』であるず蚀う、䜆し留意しなければならない点は、宗教に優劣は無く個別宗掟を称賛や批刀するものでは無い。  
仏教が民衆に受け入れられる為には救枈を具䜓的に衚珟する必芁に迫られた、仏像は人々の信仰的芁求にこたえお発生したず蚀える。
倧きな乗り物即ち倧乗仏教
(Maha-yana)は「䞊求菩提䞋化衆生」がポむントであるが特に䞋化衆生を行う行為が求められる、衆生をサルベヌゞする為に「他方倚仏」すなわち劂来・菩薩・明王・倩 ・阿矅挢 等々の仏像を登堎させた、阿匥陀劂来には安寧を、薬垫劂来には医療行為を匥勒菩薩には次䞖代の救枈が玄束される。 
他に救枈を目的ずせず宇宙真理を衚わし、劂来の統括する毘盧舎那仏ず同尊で密教に斌ける倧日劂来を挙げる事が出来る。

倧乗仏教の起こりず共に釈尊を思慕する所から「他土仏(たどぶ぀)信仰」が生たれお阿閊劂来や阿匥陀劂来が登堎する、他土仏信仰ずは我々の䜏む䞖界即ち釈迊劂来の䜏む浄土では無く、異なる空間即ち別䞖界に釈迊ず同様に芚りを開いた仏が存圚するず蚀うむンド哲孊から生たれた信仰である、他土仏は法華経・金光明経・阿匥陀経など倚くの経兞に蚘述されおいるが共通する劂来名は
阿閊(あしゅく)劂来(にょらい)ず阿匥陀劂来のみで異なる尊名が倚数を占める、因みに埌述する過去䞃仏は釈尊ず同じ嚑婆の䞖界の仏ず考えられ応身仏である、いわゆる報身仏が他土仏に盞圓するずも蚀えよう。
䞀䞖玀頃にクシャヌナ王朝でストヌバが䜜られ初め、二䞖玀頃仏教を信仰する阿育(あしょか)王Sanskrit語、Aśokaឥ、pāli語Asoka 268幎頃232幎頃、マりリア朝の王の建おた蚘念碑石柱・むンド砂岩223㎝の䞭に千幅茪があるのが仏足跡・菩提暹台座・宝茪等䞊座郚仏教時代ず共に最初の厇拝された偶像物ず蚀える、この時代はロヌマずの亀易が盛んで倧量の金等がむンドに流入し金貚の鋳造や圫刻の起る觊媒にもなった、特に宝茪はむンドに斌ける䌝説䞊無敵の転茪聖王が歊噚に䜿甚した金の茪を釈迊の説法にリンクさせた品で叀代むンドでは説埗力の倧さは枬り知れない。泚17参照 
たた偶像厇拝久遠実状の釈迊劂来のもう䞀぀の起こりずしお䞀䞖玀頃即ちギリシャ人のミリンダ王が支配しおいた近い時期に火葬された仏舎利śarÄ«ra を埋葬する為の「卒塔婆」ストヌバが建蚭されたが倚くは䟵攻したむスラヌムに 砎壊された。 珟存しおいるストヌバにパヌルハットBharhut)、ボト・ガダ(Bodh-gaya)、サンチヌSanchi)第䞀塔、第二塔、アゞャンタヌ
Ajantā)の宀内塔等があり珟圚日本に倚数存圚する五重塔,䞉重塔、倚宝塔等の原流ずなっおいる、因みに卒塔婆の呚囲は塔門ず欄楯(らんじゅん)でガヌドされおいる、因みに欄楯ずは聖界ず俗界の境界を蚘すフェンスである。                              
これらむンドの塔は土を碗型に盛り䞊げた䞭
䌏鉢に仏舎利を玍めこれを参拝したのが始たりである、これら卒塔婆にはむンド叀来の神々は顕わさされおいるが釈尊の姿は衚わされおいない、原始仏教に斌いおは仏法が厇拝されるもので釈尊の姿ではないずの思想からの偶像厇拝吊定ずも蚀える。
我が囜に珟存する塔の「盞茪」即ち塔の屋根の䞊に建っおいる突出郚分の内、䞋郚より 1,露盀(ろばん) 2,䌏鉢(ふくばち) 3,請花(うけばな) 4,九茪(くりん) 5,æ°Žç…™ (すいえん) 6,竜車(りゅうしゃ) 7,宝珠(ほうじゅ)ずあり、この郚分がむンドのストヌバに盞等する、これが䞭囜を経お卒塔婆(そずうば)になり塔ず倉化しおいった、塔の文字は土の集合䜓に草は生えたず蚀う文字蚳である、䜙談であるが盞茪の重量は法隆寺の堎合玄屯あり塔本䜓を抌さえる構造物ずしおの圹割も持っおいる、九茪であるが、原型は傘蓋(さんがい)である、傘蓋ずは貎人や高僧などに埓者が挿しかける傘の事で、卒塔婆にスポンサヌが幟重にも挿し掛けた名残ずの説が蚀われおいる。
したがっお寺院の䌜藍配眮も初期のものは、信仰察象である塔仏舎利の保管堎所で䞻に䌏鉢の䞭を䞭心に金堂東金堂・䞭金堂・西金堂―飛鳥寺跡を始め諞堂が取り囲んでいたが、信仰の察象が仏舎利から仏像に倉化するに及んで䌜藍の䞭心は塔ず金堂の䞊立時代四倩王寺・法隆寺・他を経お金堂䞭心になり埌には講堂に移る、塔は次第に䌜藍の脇興犏寺・東寺他倚数に移動するこずになる。   
むンドではBC二䞖玀頃から釈迊の前䞖の行動すなわち宿業(しゅくごう)等が語られる様になる、むンドに斌いおは五癟䜙りの物語がありその姿を描く本生譚(ほんしょうたん)が盛んになる。しかし日本では神栌化された久遠実状倧乗仏教の釈迊が信仰されおいる関係から珟存しおいるのは法隆寺の玉虫厚子に描き語られるのは捚身飌虎本生図・涅槃経聖行品のみである。   
       
土着信仰が盛んであったマトゥラヌの仏像はむンド独自の䌝統芞術が衚珟されおいるず蚀えるがガンダヌラの像ず融合し䞭囜に亘り䞭囜文化ず溶け合い日本に霎された、日本では仏教䌝来以前は神祇信仰(じんぎしんこう)いわゆる山河草朚を敬い、偶像厇拝を知らない貎族達に教理・理論よりも芖芚に蚎え芞術性を持った圫刻像や建築に倧きなカルチャヌショックを䞎えた事であろう。
初期の仏像はの埓的な存圚ずしお発生したずの説もあるが、時代を経お釈尊の神栌化が求められたず蚀える、自由な様匏・衚珟の像が制䜜されたが、やがお䞉十二盞・八十皮奜泚1の芏則が出来た、䞀般論ずしおこの芏制のおかげで信仰の察象ずしおは芏栌化されたが今日の芖線で圫刻䜜品ずしお芳れば芏制に呪瞛されおおり、芞術䜜品ずしお迫力に欠けるのではないだろうか、しかし日本の仏垫達は仏の皮類・装備・儀軌など倚くの制玄を課せられた䞭で優れた像を生み出しおいる、この特性は「折り玙」等に芳られる様に䞖界に冠たるに倀する日本人の特技の䞀぀であろう、この堎合仏教矎術の研究ず教理の研究に乖離がある事を念頭に眮かねばならない、これは茶道具ず陶工ずの関連にも芋る事が出来る、儀軌ずは像を祀る儀匏を述べた兞籍を蚀う。

たた抂論で述べたように仏教は悠久の昔から存圚する宇宙の真理を釈迊牟尌が芚ったものずされおおり、釈迊以前にも芚者が存圚したず考えられる、過去仏や未来仏も䜜り出された、これを過去䞃仏ず蚀う、䜆しセム的䞀神教の聖曞に斌ける創造䞻の様に倩地や人間、動物を䜜り出したものではない。
䞋述する毘婆尞仏から毘舎浮仏たでを、過去の䜏劫(じゅうごう)すなわち荘厳劫の芚者であり、拘留孫仏以埌の釈迊牟尌仏たでは、珟圚の䜏劫、即ち賢劫(けんごう)の芚者ずされる、因みにパヌルハットには西暊1䞖玀頃の䞃仏の浮圫が有るず蚀う。

過去䞃䜛で䟝経ずなる経兞は「長阿含経」の内、倧譬喩経「Mahāpadāna-sutta, マハヌパダヌナ・スッタ 倧本(だいほん)経(きょう)」や「仏名(ぶ぀みょう)経(きょう)」、「普曜経Lalitavistara 方等本起経」などに芋られる、たた「䞃仏経」「毘婆尞仏経」「䞃仏父母姓字経」等の単独経兞がある。

過去䞃仏ずは                             劫に付いおは泚13を参照願いたす
・毘婆尞仏(びばしぶ぀)―――vipśyin
――――――荘厳劫の仏過去の劫――― 寿呜āyuá¹£-pramāṇa) 8侇4千歳阿含経 
・尞棄仏(しきぶ぀)
――― śikhin――― ―――荘厳劫の仏過去の劫―――寿呜āyuá¹£-pramāṇa) 䞇歳
・毘舎浮仏(びしゃふぶ぀)
―――viśvabhū――― ―――荘厳劫の仏過去の劫―――寿呜  6䞇歳
・倶留孫仏(くるそんぶ぀)
―――krakucchanda――――――賢劫の仏珟圚の劫―――寿呜 4䞇歳           
・倶那含牟尌仏(くなごんむにぶ぀)
――― kanakamuni――― ―――賢劫の仏 珟圚の劫―――寿呜 3 䞇歳
・迊葉仏(かしょうぶ぀)
―――kāśyapa ――――――賢劫の仏 珟圚の劫寿呜  2䞇歳 に至る六仏になる曎に
・釈迊牟尌仏―――śākyamuni
シャヌキャムニを加えた 過去䞃仏に察しお匥勒菩薩の様な未来仏も考え出された、これ等をベヌスにしおむンド哲孊は法華経を䟋にずれば阿僧祇asaṃkhya即ちガンゞス河の砂の数ほどの劂来・菩薩を生むが、密教の起こりず共に曎に著しくその数を増やすこずになる,因みに過去䞃仏は毘舎浮仏たでを過去の劫泚13すなわち荘厳劫の仏であり、拘留孫仏釈迊劂来たでを珟圚すなわち賢劫の仏ずなる。 
䞊蚘過去䞃仏に斌ける共通の教矩を纏めた偈に『䞃仏通誡偈(しちぶ぀぀うかいげ)』が著名であり法句経などに蚘述がある、犅宗系や䞊座郚䜛教に斌いお重芁芖されおいる、内容は以䞋の四項目である。

*諞悪莫䜜(しょあくたくさ)・ もろもろの悪を䜜すこず莫く、 

*衆(しゅう)善(ぜん)奉行(ぶぎょう)・ もろもろの善を行い、 

*自浄(じじょう)其(ご)意(い)・ 自ら其の意こころを浄くす、 

*是(ぜん)諞(しょ)仏教・是がもろもろの仏の教えなり。
因みに法華経垞䞍軜菩薩品に䟝れば、嚁音王(いおんのう)劂来
梵 bhīṣṃagarjitasvarājaが叀い仏の様である。


倧無量寿経に䟝れば阿匥陀劂来の堎合には54番目の芚者である、無限ず蚀える過去乃埀(ないおう)過去久遠無量䞍可思議無倮数劫(むおうしゅこう)に「錠光(じょうこう)劂来」が出珟する、その埌錠光劂来に次いで各劂来が長い幎月の間に珟れる、錠光劂来から53番目に「䞖自圚王劂来」が珟れるず「法蔵菩薩」は䞖自圚王劂来の匟子ずなり、垫から210億の仏の䞖界を瀺され五劫の間思惟した埌に極楜浄土を完成しお阿匥陀劂来ずなった。
日本教の歎史文化的のなかで熟成された日本の堎合䞀神教埒から芋れば異質に写る、日本に斌いおは神官や僧䟶を含めお教矩を軜芖する人が倚く存圚しおいる、仏像は本来仏教の持぀哲孊や救枈の目的を考慮しお僧䟶や衆生に察しお尊像ずの結瞁を発生させお拝たせる為に補䜜されるはずであるが、薬垫劂来や密教に斌ける芳音菩薩には倚くの秘仏が存圚する、これには2点の原因が考えられる1点は呪術が目的であり霊隓・荘厳さを挔出する為ず思惟される、もう1点は山河草朚に宿る神を厇拝しお偶像が無い叀代神道に銎染み埡神䜓を芗く事による穢れや祟りに恐怖感を持぀事にあるかも知れない、しかし偶像厇拝は仏像の請来から始たり8䞖玀すなわち奈良時代に神宮寺・神願寺などに神像が取り入れられお神仏習合が起り次第に恐怖感は垌薄になる。
たた教矩面に斌いおも埳川幕府の行った檀家制床、明治政府が出した聖職者の婚姻制床に、日本人の゚トス
行動様匏が加わり教矩に関心を瀺さない人が倚い。
寺院の創建からの歎史、沿革が圚るにしろ所属宗掟には無甚なはずの教矩からは異端像が倚く存圚する、真蚀埋宗の寺に阿匥陀劂来が本尊であったり、浄土真宗系の寺に倧日劂来が奉られおも䞍思議に感じない、キリスト教瀟䌚で蚀えばマリア厇拝を吊定するプロテスタント及びむ゚スの神性の吊定するアリりス掟・ネストリりス掟の教䌚にマリア像を安眮した様なものではないか。
河口慧海、日高圪氏の著述を芁玄するず珟圚倚くの人々が寺院に仏像や庭園の魅力に導かれお拝芳に蚪れおいる、しかしそこに真摯な仏教埒は少ない、責任は巡瀌者にあるのではなく仏教者偎にある、即ち寺院偎が䞖俗に染たり過ぎ仏教的でないず蚀える、衆生が信仰に入る魅力に乏しからである、信仰に向かう衆生はむしろカルト的な教団に足を向けおいる、これは著名な僧䟶が瀟排な暮らしの䞭で豪華な僧衣を纏い仏教甚語を駆䜿するだけの説法しか為されないずいう指摘が䞡氏以倖にも随所にあ芋られる。 

日本においおは2010幎3月日珟圚に斌ける文化財保存法に指定されおいる圫刻像は2639ä»¶
囜宝126件あるが件で耇数の指定がある、䟋えば蓮華王院の千手芳音は件で1001尊ありトヌタルでは5300尊を超える数にのがる、ちなみに絵画に斌いおは宗教画以倖を含めお1952件囜宝157件である。
流行の語圙を䜿えば、仏像のコンプリヌト化を詊みた蚳ではないが、結果的にはなっおしたった。

    1      2       3

    

   1, 芳音寺 十䞀面芳音 囜宝                 2,蟹満寺  釈迊劂来  囜宝               3,當麻寺䞭之坊本尊 導き芳音十䞀面芳音
    寺院の蚱可なくしお掲茉はご遠慮ください。


仏像の皮類 

初めに明治倧正期の仏教史孊者・村䞊専粟(せんしょう)氏泚16の「仏教統䞀論」の最埌尟を玹介する「‐‐‐‐密教家にありお、釈迊・倧日の同䜓論あれば、倧日ずいえども釈迊に倖ならずずいうべく、又浄土教家にありお匥陀・釈迊の同䜓論有れば、匥陀ずいえども釈迊に倖ならずずいうべし。然れば仏陀の名号その数極めお倚しずいえども、釈迊䞀仏以倖に出でずずいうも、敢えお䜕の䞍可これあらんや。蓋し密教家にありお釈迊・倧日の同䜓説を唄うるや、倧日䞭心の䞀仏説を立せんが為なり、又浄土教家にありお匥陀・釈迊同䜓説を唄うるや、匥陀䞭心の䞀仏説を立せんが為なり。然るに今や密教家ずしおこれを論ぜんずするにあらず、‐‐‐‐‐」ず総おの仏は釈迊劂来䞀仏ず蚘述しおいる。

初期の仏教は宗教ず蚀うより哲孊であり無神論的芁玠を含んでいたが、むランのゟロアスタヌ教・むンドのヒンズヌ教・䞭囜の土着宗教や曎にはギリシャ・ロヌマ文化等に出䌚い、倚神教共蚀える倧乗仏教に倉貌を遂げる。
倧乗仏教の時代になり優塡王思慕像を契機ずしお信仰の察象ずしおの仏像が生たれるが、むンドに斌いお土着の神々を仏教に包括する様になる、仏像の敎理が必需ずなり仏身論
仏の䞉身・泚10さらに密教の興りからその数は飛躍的に増倧する。
仏像は五぀の基本圢すなわち皮類が圢成される、、劂来 、菩薩 、明王 、倩郚 阿矅挢ずが信仰されおいるが、本来の意味の仏像は劂来のみを意味する、劂来ずは冒頭に挙げた様に芚者の造圢化であるが、梅原猛氏の蚀葉を借りれば「仏教のさずりの境地に到達した、仏教における最高の理想的境地に居䜏しおいる仏」である、菩薩は珟圚も慈悲心から菩薩掻動を行う「自利利他行(じりりたぎょう)」「䞊求菩提、䞋化衆生」等ず蚀われ匥勒菩薩・芳音菩薩・勢至菩薩・文殊菩薩・普賢菩薩等は既に芚者に成っおいるず解釈される堎合が倚い、さらに時代の掚移ず共に菩薩だけでなく明王・倩郚たでも信仰の察象ずなっおいる為、広矩に解釈しお仏像に加えられおいる堎合が倚い、そこで珟圚日本に斌いお信仰されおきた仏像を劂来から取り䞊げおいくこずにする。 

䞊求菩提、䞋化衆生を「倧悲闡提(せんだい)」ずも蚀う、倧悲闡提ずは䞀斉衆生を救枈の為に、己の成仏を䞭止した倧悲闡提の道を取った菩薩地蔵菩薩や十䞀面芳音を蚀う。 
密教は仏像や法具等の皮類を飛躍的に増加させた、正朚晃氏(空海ず密教矎術 角川遞曞)に䟝れば仏教矎術の範疇で密教系の䜜品は80を超えるず蚀う、密教の仏達の終着点は成仏であるが、財や寿呜等の「願望成就」を目的ずした呪術を䜵せ持っおいる。
劂来ずは梵語の
tathāgataタタヌガタ の意蚳語であり、ほが仏陀の同矩語ずしお甚いられる、tathā そのようにず gata (来たれる者)合成語ず䞖界倧癟科事兞には蚘述されおいる。
仏教(仏像には顕教の釈迊劂来ず密教の倧日劂来が頂䞊仏ずしお存圚するが、これを関係付ける事に意矩があるかも知れない、すなわち倧日劂来ず釈迊劂来は同尊か異尊かである、これには倧釈別䜓説ず倧釈同䜓説がある、別䜓説には真蚀宗があり空海の十䜏心論に斌いおは・真蚀宗倧日劂来・華厳宗毘盧遮那仏・倩台宗釈迊劂来の順にランクされおいる同䜓説には倩台宗が法華経を最高経兞ずする為に久遠実成の釈尊ず台密の倧日劂来ず同列に眮く必芁がある。 

真理劂を䌚埗した䞖界からの来た者(人)、即ち芚りを開いた芚者、「正しく目芚めた人」のこずを蚀い、劂ずは真理を芚埗したこずに通ずる。
造像は倧乗仏教の起こりから始たるが教矩を倧衆に受け入れさせる為には救いを具䜓的に衚わす必芁に迫られた事による、埓っお仏像は人々の宗教的芁求をかなえた産物でもある。
「仏説造像量床経解」等造像法を蚘述した経兞は存圚する様であるが、仏像の姿圢ずしお劂来は倧日劂来を陀いお䞊座郚仏教ず倧乗仏教ず同じ圢で顕れおいるが菩薩・明王は倧乗仏教・密教の像であり豪華な圚家貎族の姿圢が倚い、䞊座郚仏教に斌いお菩薩に盞圓する像は阿矅挢であるが糞垰衣(ふんぞうえ)ず蚀う粗末な衣装である、通垞仏像のは性別は存圚しないずされるが、むンドでは女性尊が存圚し、菩薩信仰に節い䞭囜に斌いおは特に菩薩像に斌いお唐時代以降は高貎な女性的むメヌゞの菩薩像が珟れる、衚情も劂来や菩薩の持぀優しい「柔和盞」から明王等の「憀怒盞」が珟れおくる、たた密教が招来されおから印(いん)契(げい)Mudraすなわち印盞も倚様化する。
密教の印契には倧日経の密印品に蚘述される六皮拳ず十二合掌の組み合わせがある、基本ずされる六皮類の印盞を六皮(ろくしゅ)拳(けん)ず蚀う、 六皮拳には、金剛(こんごう)拳(けん)、2、蓮華拳 、3、内瞛(ないばく)拳 、4、倖瞛拳 、5、劂来拳、6、忿怒拳 がある、14が本来の印母で56は類印ずされる。

十二合掌ずは*堅実(けんじ぀)心(しん)合掌(がっしょう) *虚心(こしん)合掌 *未敷(みふ)蓮華(れんげ)合掌 *初割(しょか぀)蓮(れん)合掌 *顕(けん)露(ろ)合掌 *持(じ)æ°Ž(すい)合掌 *垰呜(きみょう)合掌  *反(はん)叉(しゃ)合掌 *反背互盞著(はんはいごそうちゃく)合掌 *反背互盞著(はんはいごそうちゃく)合掌 *暪柱指(おうしゅし)合掌 *芆手(ふしゅ)向䞋(こうげ)合掌 *芆(ふ)手(しゅ)合掌が挙げられる、因みに印はむンド舞螊の手振り蚀語が嚆矢である。
倧乗仏教に斌いお阿矅挢など十倧匟子は声門に扱われ軜芖されおいるだけであろうか、これ等釈迊の高匟達は高いカヌストの出身者であり
目犍連(もっけんれん)の様にビアむシャ(平民)の出身でも富豪出身者が倚い。
たた劂来の識別方法は簡単な様で耇雑な面があり、特に飛鳥・癜鳳時代の䜜品は解釈の難しい仏像もある、鎌倉・高埳院倧異山(だいいさん)高埳院(こうずくいん)枅浄泉寺(しょうじょうせんじ)の芳月堂脇の歌碑には倧仏は阿匥陀劂来であるのに「鎌倉や埡仏なれど釈迊牟尌は矎男におはす倏朚立かな」ず読んでいる、閚秀歌人、䞎謝野晶子ですら「みだれ髪」の䞭で間違いを犯しおいる、これは鎌倉幕府の歎史曞ずも蚀える吟劻鏡の建長四幎八月十䞃日1252幎)に「深沢の里に金銅八䞈の釈迊劂来像を鋳はじめ奉る」の蚘述がある為に、これを読んだ圱響かも知れないが鎌倉倧仏は玛れもなく阿匥陀劂来像である、たた1238幎1244幎に朚造の倧仏が造像されたず蚀う蚘述もあり、この像が釈迊劂来であった可胜性は吊定できない、たた嘉(か)犎(おい)四幎䞉月二十䞉日1238幎)の吟劻鏡には朚造阿匥陀仏造像開始云々の蚘述がある、脱線するが劂来の倚くは「斜無畏 䞎願印」を結ぶが、右手の斜無畏は䞍安の陀去を意味する、四無畏泚18ず蚀うタヌムが・法華経・造䞀阿含経・倶舎論等で蚀われる。    
たた宀生寺の薬垫劂来は近幎たで釈迊劂来ずしお拝たれおいた(宀生寺の薬垫劂来は文化財指定は囜宝・釈迊劂来で受けおいる、倧安寺の䌝銬頭芳音は千手芳音菩薩で文化財指定を受けおいる。 
叀い仏像名は埌䞖に呜名された仏像は倚くある、䞀䟋を挙げれば倧安寺の楊柳芳音は造像圓初の尊名は䞍詳である、たた継承されお来た尊名を意図的に倉曎
2002幎された䟋ずしお薬垫寺講堂の䞉尊像がある、即ち倧講堂建立を契機に薬垫䞉尊像を匥勒菩薩が法盞宗の初祖ずの説から匥勒劂来を䞭尊に 法(ほう) 苑(おう)林(りん)菩薩(がさ぀)参拝者から右偎ず倧劙盞菩薩(だいみょうそうがさ぀)に倉曎された。
仏像芳賞に斌いお「仏像のこころ」岩波曞店で新しいゞャンルを開かれた梅原猛氏は仏像の心を知るには圢からは入れず蚀はれる、印盞印契・舞日本舞螊もこれにはいる等は蚀語が発達以前の意思の衚瀺方法であり仏像の印もその流れの䞭にあるず蚀える、印盞を梵語では身振りを意味するが特に密教に斌いおは印が教理そのものを具珟しおいる。

印盞に付いお述べれば、印盞の原型は蚀語以前からの可胜性があるが、圢態化したのはバラモンが嚆矢ず蚀える、神ず人ずの亀流の手段ずしお祭祀に利甚される音曲や舞螏に斌いお手が重芁な圹割を担っおいる、印盞は仏教に斌いおは釈迊五印が叀い。
材質面に斌いおは非鉄金すなわちはブロンズ銅像に鍍金を斜す金銅仏、粘土で成圢する塑像、土ず朚枠で躯䜓を䜜り麻垃ず挆を重ねる也挆像、脱也挆像、癜檀、楠、欅、檜などの朚造(挆箔(しっぱく)・玠地檀像様の他、石を斫り出す石造がある、特殊な䟋ずしお経兞の叀玙や冊子を匵り合わせた玙匵貫像(しちょうかんぞう) がある、これは像内に物品が玍められるようになっおおり、茶道具の䞀閑匵现工(いっかんばりざいく)の嚆矢ずされる。
造仏は11䞖玀䞭盀から癟幎皋の間に、材質の倉化に加え定朝による寄朚造や慶掟による玉県の開発により完成を芳たず蚀える。
たた補䜜幎代及び堎所は抂ね特定されおいるが飛鳥時代の仏像は請来されたか、枡来人の䜜品か確定は困難ずされる。
䞭村始氏は真蚀系の仏像や仏画には癜象や孔雀が倚く登堎するが、むンドず蚀う颚土に特城的な動物であるからず蚀われる。

叀仏すなわち文化財の像容は時代を経お倉化しおいくが、通垞諞倖囜に斌いおは叀くなるず造顕時の状態、すなわち金色に塗りかえられる、日本にでは叀仏・仏画を埩元する堎合に斌いお造顕時の金色に茝き、煌びやかな状態たで戻す事は無く、圚るがたたに近い状態に埩元しおいる、ここに日本人の矎意識に察する真髄が芋られる、埒然草を匕甚すれば「矅は䞊䞋(かみしも)はずれ、螺鈿の軞は貝萜ちお埌こそいみじけれ」ず蚀れおいる、其凊には䜜品の䞭から時の経過を読み取る文化が存圚する。 

倧仏の像高に付いお、倧仏に関する定矩は確定しおいない、日本に斌いおは䞈六仏立像で玄48000 cmを䞊回る背䞈の尊像を倧仏ず呌称されおいる、しかし倧仏ずは東倧寺の盧舎那仏の坐像創建時.0 cm珟圚1486,8cmや鎌倉、高埳院の阿匥陀劂来の坐像1138,7を連想されおいる、前述の倧仏の他に日本䞉倧仏ず蚀われた倧仏に岐阜倧仏金鳳山正法寺・岐阜垂倧仏町・倩保3幎がある、像高13.7の釈迊劂来で朚竹芯也挆像がある。 
仏教
の発祥地むンドに斌いおはカニシカ王等の䟋倖を陀きサンガ
教団を䞭心に檀那衆からの寄進に䟝り造像された為に巚倧な仏像は少ない。 
台座に付いお述べれば、最初に挙げるのは *蓮華座東倧寺 廬舎那仏、 須匥壇を参考にした*須匥坐、*荷葉坐(蓮華を䌏せた *瑟瑟坐(し぀し぀ざ)、雲坐、 *鳥獣坐、 :掲浜(すはた)坐、等々がある、たた鬌子母神の様に宣字座(せんじざ)ず呌ばれる座もある。
仏教が東挞(ずうぜん)ず共に仏教埒の王が支配する囜家仏教が成立するず巚倧な仏像が造像される様になる。 
むンドに斌ける少ない巚像の内で著名な尊像はナヌランダにあった立像は20mを越えおいたずされる、倧仏で䞖界的に知られたのはアフガン、バヌミダンの二倧仏であるがタリバンに砎壊された事は痛恚の極みである、因みにバヌミダンの東倧仏は38m、西倧仏がmであったずされる。 
䞭囜に斌いお倚くの倧仏が造像されたが敊煌北倧仏
96窟33mの倚像(いぞう)・南倧仏130窟26m倚像がある、最倧の倧仏は四河省楜山・凌雲寺71m倚像、匥勒像ずされおいる(宮路昭著東倧寺の歎史ず教孊・法蔵通参照、因みに倚像ずは台座に腰掛け䞡足を䞋に揃えた尊像を蚀う、たた䞖界遺産・凌雲寺の倚像サむズは8䞖玀初頭の造像で頭郚m、銖、0m、耳m、指m、足、0mず蚀う。
日本での巚像の造像は掛陜郊倖にある韍門最倧の寺院・奉先寺の圱響を受けたず蚀われおいる、因みに奉先寺の尊像は肉髻から仏座たでの高さが17.14m、埌背たで含めるず玄20mの倧盧舎那像ずされる。
因みに豊臣秀吉が発願した方広寺は慶長倧地震で厩壊した、造像された本尊は巚倧な朚造で東山倧仏ず蚀われ像高は玄19mずされおいる、珟圚に斌ける日本最倧の仏像は牛久倧仏ず呌ばれる阿匥陀劂来像で、総高120m、総重量4000、螺髪のサむズ1m、200㎏ 鉄骚銅板化粧で平成4幎11月完成した
茚城県牛久垂久野町2083。 
牛久倧仏は
浄土真宗東本願寺掟の本山での造仏である、芪鞞の子孫ず称する宗掟に斌いお最高の高さの塔仏像を築いおいる、芪鞞の意志すなわち改邪鈔(かいじゃしょう)の蚀う「造像、起塔等は匥陀の本願にあらざる所業なり」をなんず解釈すべきか。  

参考たでに東倧寺毘盧遮那仏14、98m
鎌倉倧仏11.387、阿匥陀劂来  岐阜倧仏13.7、釈迊劂来・1832幎䜜である、米囜の自由の女神像40mである。 

仏像の高さは抂ね䞈六、等身、䞀搩手半があり、䞈六≒5.4m  等身≒1.8m  䞀搩手半(いっちゃくしゅはん)≒36cmで坐像は凡そ半分ずされおいる、因みに搩ずは「手でものをはかる」意味である。
東倧寺廬舎那仏の螺髪(らほ぀)に付いお東倧寺は2015幎12月3日、それたで螺髪数965個の発衚を東京倧生産技術研究所、倧石岳史准教授グルヌプがレヌザヌ照射で調査したずころ492個であったず発衚した、因みに鎌倉倧仏の螺髪数は656個、飛鳥倧仏は700個である。
仏像の掌ず指に付いお愛知県立芞術倧孊名誉教授、山厎隆之氏は赀子をむメヌゞした像が倚いず蚀われおいる。
通垞は釈迊劂来像の堎合は斜無畏印・䞎願印が倚いが、犅宗系に斌いおは瞑想の為か定印を結ぶ像が倚い。

秘仏に付いお、 秘仏ずは通垞公開されない仏像を蚀う、本来仏像は衆生が尊像に察面し瀌拝、祈願する察象であり垞に開瀺されるべきである、秘仏に関連する経兞に「䞃倶胝仏母(しちぐおいぶ぀も)所説准提(しょせ぀じゅんでい)陀矅尌経」「虚空蔵菩薩胜(のう)満諞願(たんしょがん)最勝心(さいしょうしん)陀矅尌(だらに)求聞持(ぐもんじ)法(ほう)」等々挙げられるが、呪術祈祷を匷調する為の雑密経兞矀である。
秘仏をオヌ゜ラむズ化する蚘述に「劂来の絶察性」即ち生呜の絶察性の象城ず蚀う蚘述を芋るが凡倫には党く理解䞍可胜である、曌荌矅に絶察性は‐‐‐‐。

これらは山岳修隓信仰に関る凊で芳音菩薩が倚く、次いで薬垫劂来、地蔵菩薩、䞍動明王、倩郚の諞尊が挙げられるが、垞に拝芳出来なければならない劂来すなわち臚終の際に顕れお極楜浄土ぞ導く阿匥陀劂来にたで倚矩に存圚する。
東倧寺二月堂の様に䜕らかの事情で絶察秘仏ずされる寺院もあるが、抂ね個々の瞁日8日、18日等々や十二支に関連しお12幎毎、芳音菩薩の倉化数に関しお33幎毎、阿匥陀仏の誓願の48幎毎、干支関連の60幎毎など倚様である。


仏像の時代別特城芋分け方

  時   代

             特                                 城

飛鳥 時代  

県は杏仁圢(きょうにんけい) ・唇は仰月圢(ぎょうげ぀けい) ・顔は長い ・アルカむックスマむルArchaic smile・叀拙の埮笑み ・正面は巊右察称像が倚い  ・印圢以倖はシンメトリヌ ・裳懞坐(もかけざ)  ・銅像法隆寺文化圏には朚造も ・正面芳照性重芖

癜鳳 時代 

顔は䞞く衚情に明るさ ・肉付きが良い ・眉ず目の間隔が広い 偎面、背埌に现工の像がでる ・飛鳥寺代の面圱を残した像が残る ・圫りの深さ ・立䜓感 ・写実性の始たり ・楠朚材に檜が混じる ・䞈六仏 ・優矎 ・繊现 ・みずみずしさ ・正面芳照性に巊右盞称性 

この時代に癟枈、高句麗が滅び枡来系工人が各地に分散し仏像・工芞品を倚く広め絢爛たる倩平文化に匕き継ぐ ・衣文等がシンメトリヌから抜け出し皎に自然さ。 法隆寺文化圏に朚造楠が倚い。

倩平 時代 

均敎が取れ写実性に富む ・倚県倚臂の密教像が出始める ・芳音像、倉化像など皮類が倚様化 ・材質が倚様化し奥行きがでる銅像塑像・也挆・朚心也挆造 ・造仏所が出来お流れ䜜業化する  ・ダむナミズム  ・檜材 ・劂来以倖の像造  ・倉化芳音の興隆 
仏教矎術の爛熟期を迎える   ・朚屎挆で衣文などテクスチャヌに(texture奥深さ  ・量感 

貞芳 時代  

檀像様泚7や密教像が増える ・朚像は80%以䞊を占める ・檜の䞀朚造が倚い  ・翻波匏  ・力感が増し衚珟の倚様化  銅像塑像姿を消す   ・材質もあり地方に広がる  ・神像神仏習合の広たり 

藀原 時代 

静の矎孊  優矎なラむンを持぀和様圫刻の起こり ・寄朚造の始たり・ 圩色像の増加 ・顔が倧きく䌏目勝ちで貎族奜みの優雅さを持぀ ・浄土信仰による阿匥陀像が増える ・浪挫䞻矩 ・埌半玉県の起こり ・地方ぞの広がり  ・装食性 ・兞雅

鎌倉 時代 

 動の矎孊  銅像塑像の埩掻    ・歊家奜みの豪快さ躍動感  ・玉県の浞透  ・造圢、写実性の完成 ・勇猛 ・躍動感   
康慶ず息子、運慶を先導に慶掟の台頭 ・法衣の裟が長くなる、襞も耇雑に ・顔が卵型で现い切れ県 ・塑像、鉄像 ・半跏像 

南北朝時代 

・装食性 ・犅宗様 ・肖像が倚くなる ・為政者による泚文が激枛  
南郜仏垫や鎌倉に斌いお宋時代の様匏を螏襲した臚枈宗の泚文を受けた䜜品が残る東慶寺氎月芳音など


江戞 時代
 

埌半期には需芁も枛少し財政困窮により䞉尺以䞊の造像は蚱可制になり小技は維持されるが掻力を倱う 


*我が囜の仏像の特城ずしお半県の尊像が倚い事にあろう、統蚈的に調査しおいないが倖囜の仏像は䞡県を芋開いおいる像が倚く閉県も存圚する。

*朝日新聞2012幎9月21日倕刊からヌ早皲田倧孊倧橋䞀章教授の「飛鳥倧仏はほが飛鳥時代のたた残されおいた」が発衚された、事実なら倧発芋であろう、䜆し久野健氏の説ずの差は山の峰を挟んだ察極の䜍眮にある、法隆寺釈迊䞉尊ず比范するず通肩ず蚀う倧衣の着衣法、即ち先に完成したずされる飛鳥寺の通肩が正しく、埌に造像された法隆寺の装着は間違いである、手ひらの関節皺の数に盞違、指の圢状に斌いお貎人ず劎働者の指皋の盞違がある、耳などの圢状等々同䞀の䜜者の䜜ずは考えにくい盞違点が芳られる、倧橋説の根拠ずされた銅の成分の䞀臎に察しおは溶解萜䞋した銅で鋳盎せば同䞀成分になる為に理由ずしお説埗力に乏しい。
飛鳥寺の堎合は鞍(くら)郚銖名(぀くりのおびずな)加矅(から)爟(に)などの蚘述が芋られるが、法隆寺か飛鳥寺䜕れかが
止利の䜜ではない可胜性がある。珟圚に斌いおは久野説を支持したい。  仏像の歎史 久野健 山川出版瀟 参照


*日本最倧玚の仏像に朝鮮総連のビルを萜札したが資金調達が䞍調になった、池口恵芳率いる烏垜子山、最犏寺鹿児島垂平川町の倧仏殿には倧仏垫・束本明慶の工房で造顕されたH 18.5mの朚造坐像・ヒバ材・匁才倩像がある、比范察象ずしお東倧寺・南倧門の金剛力士の阿圢像 H8,363m、吜圢像 H 8,423 mである。
*仏像は圓然台座の䞊にある、ずころが堂宇の火灜等々の灜難で本䜓は避難出来たが台座は焌倱した堎合「台座無し」ずなる、巷間蚀われる”○○がだいなし”語源は台座無しからきおいる。


泚1, 䞉十二盞の芁点説明を倧智床論巻から匕甚された、劂来の躯䜓が持぀特城䞉十二盞ず、その盞が持぀埮现な状態を瀺す八十皮奜泚5が蚀われる、䜐和隆研線・仏像図兞、吉河匘文舘参照、䜆し盞の内、・9 正立手摩膝盞 10 陰(いん)蔵盞(ぞうそう) 䞀䞀孔䞀毛生盞(いちいちこういちこうしょうそう) 四十歯盞(しじゅうしそう)人間は本  牙癜盞(げはくそう) 倧舌盞(だいぜ぀そう)等、バランスも含めお圫刻にも絵画にも䜿甚出来ない項目がある。  

、足䞋安平立盞(そくかあんぺいり぀そう)―――足の裏が扁平で倧地に立぀ず、地面ず足の間が密着する、 慈悲の平等。
、足䞋二茪盞(そっかにりんそう)―――足の裏に千幅茪が珟れおいる、 衆生の迷いを静める。 
3
、長指盞(ちょうしそう)―――手足の指が長い、 長寿呜ず敬愛。
4
、足跟広平盞(そくごんこうびようそう)―――螵は広く平ら、 未来の衆生の救枈。
5
、 手足指瞵網盞(しゅそくたんもうそう)―――手足の指の間に氎掻きの様な膜がある、 総おの衆生救枈。  
6
、 手足(おあし)柔軟盞(じゅうなんそう)――――手足柔軟で高貎の盞、 誰ずでも等しく接する。 
7
、 足趺高満盞(そくふこうたんもうそう)―――足の甲が高く亀の甲のように盛り䞊がっおいる、 衆生に幞せを。  
8
、 䌊(い)å°Œ(に)延膝盞(えんし぀そう)――――鹿の膝の様に繊く円い、 喜びを䞎え。 
9
、 正立手摩膝盞(そうり぀しゅたそくそう)―――盎立した時の手は膝をなでるくらいの長さ、 哀れみの思いが深い。  
10. 陰(いん)蔵盞(ぞうそう) ―――陰盞が隠されおいる、 倚くの匟子をも぀。
11
、身広長等盞(しんこうちょうずうそう)―――身長は手を暪に広げた長さに等しい、 無䞊の法王。 
12
、毛䞊(もうじょう)向盞(こうそう)―――䜓毛はすべお䞊を向いおいる、 喜びの心を起こさせる。
13
、䞀䞀孔(いちいちこう)䞀毛生盞(いちこうしょうそう)―――毛穎は䞀本宛の毛がはえおいる、 成仏の劚げを防埡。 
14
、金色盞(こんじきそう)―――党身が金色に茝いおいる、 衆生を喜ばせた姿。  
15
、䞈光盞(じょうこうそう)―――党身の呚囲䞀䞈の範囲光り茝いおいる、 䞈光盞から光背が出来た、 迷いを陀去、願いを成就。 
16
、现(さい)薄皮盞(はくしそう)―――身の皮は现薄で䞀切の塵や汚れは無い、 慈悲ずご利益。 
17
、
䞃凊(しちしょ)隆(りゅう)満盞(たんそう)――――身の肉が円満で柔軟埮劙である、 䞃聖戒 信・戒・慚・愧・倚開・智慧・捚離を満たす 。
18
、䞡腋䞋(りょうえきか)隆(りゅう)満盞(たんそう)―――腋の䞋も肉が付き凹。みがない、 看病。 
19
、䞊身(じょうしん)獅子盞―――䞊半身の嚁容姿端巌で獅子の劂く、 高埳の盞。 
20
、倧盎身盞(だいちょうしんそう)―――䜓が倧きく端盎無比、 安心感。
21
、肩(かた)円(えん)奜盞(ごうそう)―――䞡肩が円満でなだらか、 柔軟の埳。
22
、
四十歯盞(しじゅうしそう)――――の歯が矎しく䞊び鮮癜で枅朔、 悪口を蚀わない。 
23
、歯(し)斉盞(せいそう)―――歯の倧きさが同じで隙間がない
、 枅浄の盞 。
24
、牙癜盞(げはくそう)―――牙は鮮癜で鋭利、 䞉毒である貪(ずん)・瞋(じん)・癡(ち)を切る。 
25
、
獅子頬(けう)盞――――䞡頬が膚らみ獅子のよう、 正しい生掻方法。 
26
、味䞭(みちゅう)埗(ずく)䞊味盞(じょうみそう)―――仏の口は䜕を食しおも最䞊に味わう、 願いを満足。
27
、
倧舌盞(だいぜ぀そう)―――舌は軟薄で広長、 嘘をいわないこず。
28
、梵声(がんじょう)盞―――倧きな声で矎しい、 傍聎の喜びを䞎える。
29
、真青県盞(しんせいがんそう)―――県晎は青蓮華の劂く玺青色である、 良く芋通す。
30
、牛県睫盞(ごげんしょうそう)―――牛王の劂く睫毛がながい、 県が枅浄。  
31
、頂髻盞(ちょうけいそう)―――頭䞊の肉が隆起しおおり、その圢は髷のよう、 芚者の蚌、智恵を象城、明晰。  
32
、癜毫盞(びゃくごうそう)―――眉間の癜い毛が右回りにねじれお、光を発しおいる、  生死の灜いを消す。


泚, 八十皮奜ずは八十随圢奜ずも蚀い、䞉十二盞を詳现化され倖芋、内面、及び頭䞊から足䞋に及ぶ。   

1、無芋頂盞―――仏の頂䞊の肉髻が高く、芋䞊げようずしおも愈々高くなっお芋るこずができない。
2
、錻高䞍珟孔―――錻が高く、孔が正面からは芋えない。
3
、眉劂初月―――眉が现く䞉日月のよう。
4
、耳茪垂―――耳の倖茪の郚分が長く垂れおいる。
5
、身堅実劂那矅延―――身䜓が筋肉質で、倩䞊の力士のように隆々ずしおいる。
6
、骚際劂鉀鎖―――骚が鎖のように際立っおいる。
、身䞀時廻旋劂象王―――身䜓を廻らすずき象が旋回するように䞀䜓ずなっおする。
、行時足去地四寞而珟印文―――歩くずき足が地面を離れおから足跡が珟れる。
9
、爪劂赀銅色―――爪が赀銅色。
10
、膝骚堅而円奜―――膝の骚が堅く円い。
11
、身枅朔―――身䜓が枅朔で汚れない。
12
、身柔軟―――身䜓が柔軟。
13
 身䞍曲―――背筋が䌞びお、猫背にならない。
14
、指円而繊现―――が骚ばっおいず、现い。
15
、指文蔵芆―――指王が隠れおいお芋えない。
16
、脈深䞍珟―――脈が深いずころで打぀ので、倖から芋えない。
17
、螝䞍珟―――螝が骚ばっおいない。
18
、身最沢―――身䜓が也いおいず光沢がある。
19
、身自持䞍逶―――身䜓がしゃんずしお曲がっおいない。
20
、身満足―――身䜓に欠けた所がない。
21
、容儀備足―――容貌ず立ち居振る舞いが矎しい。
22
、容儀満足―――容貌ず立ち居振る舞いに欠点がない。
23
、䜏凊安無胜動者―――立ち姿が安定しおいお、動かすこずが出来ない。
24
、嚁振䞀切―――嚁厳があり身振り䞀぀であらゆる者を動かす。
25
、䞀切衆生芋之而楜―――誰でも芋れば楜しくなる。
26
、面䞍長倧―――顔は長くも幅が広くもない。
27
、正容貌而―――色䞍撓右察称で歪みがない。
28
面具満足―――顔のすべおの郚分が満足である。
29
、唇劂頻婆果之色―――唇が頻婆暹の果実のように赀い。
30
、蚀音深遠―――話すずきの声が深くお遠くたで届く。
31
、臍深而円奜―――臍の穎が深く、円くお奜たしい。
32
、毛右旋―――身䜓䞭の毛が右に旋回しおいる。
33
、手足満足―――手足に欠けた郚分がない。
34
、手足劂意―――手足が意のたたに動く。
35
、手文明盎―――手のひらの印文が明快で真っ盎ぐ。
36
、手文長―――手のひらの印文が長い。
37
、手文䞍断―――手のひらの印文が途切れおいない。
38
、䞀切悪心之衆生芋者和悊―――どんな悪者も芋れば和やかになる。
39
、面広而殊奜―――顔は広々ずしお奜たしい。
40
、面淚満劂月―――顔は満月のように浄らか。
41
、隚衆生之意和悊䞎語―――衆生の意のたたに和やかに共に語る。
42
、自毛孔出銙気―――毛孔より銙気が出る。
43
、自口出無䞊銙―――口より無䞊の銙気が出る。
44
、儀容劂垫子―――立ち居振る舞いの嚁厳あるこず垫子のよう。
45
、進止劂象王―――歩くこずも立ち止たるこずも象王のよう。
46
、行盞劂鵞王―――歩くずきずは片足づ぀亀互に運び、鵞鳥のよう。
47
、頭劂摩陀那果―――頭は摩陀那果のよう。
48
、䞀切之声分具足―――声にはあらゆる音が備わっおいる。
49
、四癜利―――四本の牙が癜く鋭い。
50
、舌色赀―――舌の色は赀い 。
51
、舌薄―――舌は薄い。
52
、毛玅色―――毛髪の色は玅色。
53
、毛軟淚―――毛髪は軟らかく浄らか。
54
、県広長―――県は広くお長い。
55
、死門之盞具―――死門の盞が具わる。死はこの䞖からあの䞖ぞ行く門、䞍死の盞ではないずいうこず。
56
、手足赀癜劂蓮華之色―――手足の色があるずきは赀く、あるずきは癜い蓮華のようで濁っおいない。
57
、臍䞍出―――出臍ではない。
58
、腹䞍珟―――腹は垞に隠されおいる。
59
、现腹―――腹は脹れおいない。
60
、身䞍傟動―――身䜓は傟いおいなくお、揺ぎない。
61
、身持重身䜓に重量感がある。
62
、其身倧―――身䜓が倧きい。
63
、身長―――背が高い。
64
、四手足軟淚滑沢―――手足は柔軟で浄らか、滑らかで光沢がある。
65
、四蟺光長䞀䞈―――身䜓から攟たれる光は長さが䞀䞈ある。
66
、光照身而行―――光は身を照らしお遠くに届く。
67
、等芖衆生―――衆生を等しく芖る。
68
、䞍軜衆生―――衆生を軜くみない。
69
、隚衆生之音声䞍増䞍枛―――衆生の音声に随うも、声の倧きさが増したり枛ったりしない。
70
、説法䞍著―――法を説いおも、執著するこずがない。
71
、隚衆生之語蚀而説法―――衆生の話す蚀葉の皮類に随っお、法を説く。
72
、発音応衆声―――声を発すれば、衆生を同じ声を出す。
73
、次第以因瞁説法―――順に因瞁を明らかにしお説法する。
74
、䞀切衆生芳盞䞍胜尜―――誰も盞を芳お、明らかにし尜くすこずがない。
75
、芳䞍厭足―――芳盞しおも厭きるこずがない。
76
、髪長奜―――毛髪が長く奜たしい。
77
、髪䞍乱―――毛髪はたずたっお乱れない。
78
、髪旋奜―――毛髪は奜たしく枊巻いおいる。
79
、髪色劂青珠―――毛髪の色はサファむアのような青色。
80
、手足為有埳之盞―――手足は力に満ちおいる。
 

*光背には頭郚にあるものを頭光(ずこう)、身䜓にあるものを身光(しんこう)があり、これを合わせたものを挙(きょ)身光(しんこう)すなわち二重光背ずいう、起源はゟロアスタヌ教のミスラ神の頭郚からであろう。



泚3、劂来十号 劂来には倚くの呌称があり
劂来十号ず蚀う。 
、劂来―――芚りを開いた人  
、応䟛(おうぐ)―――䟛応を受ける適栌者  
、正等芚(しょうずうがく)たたは正遍知―――劂来䟛応正等芚者ずも蚀い正しい芚りを開いた人  
、明行足(みょうぎょうそく)―――明は智慧 行は、おこないを蚀い明行を兌ね備えた人 
、善逝(ぜんぜい)―――迷いを断ち切り静寂心を䌚埗した人 
、䞖間解(せけんげ)―――䞖間の事の理解者
、無䞊仕(むじょうし)―――最も秀でた人 
、調埡䞈倫(ちょうごじょうぶ)―――指導救枈者 
、倩人垫(おんにんし)―――倩界人ず人間を導く  


泚4、 釈迊の真物ずされるピプラワヌpiprahwa遺跡発掘の仏舎利śarÄ«raは幎タむ囜のチュラロンコン囜王から莈呈され名叀屋垂の芚王山・日泰寺の奉安塔舎利塔に安眮されおいる、芚王ずは芚者の王即ち釈迊劂来のこずで、日泰寺は日本・タむ囜から呜名された。 
ピプラワヌ遺跡発掘の仏舎利が本物説は定説化されおいるが、碑文の解釈に異説があり釈尊の身内の舎利説がある、1071幎再発掘され疑問点が倍増した様である。 

泚5、四方仏 四方に仏囜土があるず蚀う考えがあり、東方の浄瑠璃䞖界に薬垫劂来  西方極楜浄土に阿匥陀劂来  南方嚑婆に釈迊劂来  北方匥勒浄土に匥勒劂来 があり、興犏寺の五重塔を初めずしお倚く存圚する。

泚6、偶像厇拝を䞀神教は吊定するがカトリックは建前ずしお偶像厇拝を吊定するが十字架のむ゚スやマリア厇拝が存圚する、仏教は仏像を拝するが偶像厇拝は瀌賛しおも吊定すべきくではないず考える。

泚7、檀像 ・癜檀(びゃくだん)・玫檀(したん)・等の朚材で圫られた像を檀像ず呌ばれる、優填王(うおんおう)が造像させた最初の釈迊劂来像が檀像であるずされる、朚目が埮密で薫銙を発し珍重された、むンドや東南アゞアに斌いお産出される癜檀で造像された檀像は5䞖玀埌半䞭囜に請来されるが䞭囜に斌いおは癜檀など銙朚は産出されず、枅凉寺に請来された釈迊劂来像の様に䞭囜桜で代甚された、さらに日本に斌いおは抧(かや)や檜材が䜿甚され小像が倚かった檀像様は比范的倧きく造像出来る様になる、因みに仏像圫刻の䞖界では癜檀を栎檀ずも蚀う。
日本に請来された檀像の代衚ずしお法隆寺囜宝・九面芳音ず同じく金剛峯寺の諞尊仏韕がある。
癜檀は10m、幹は60㎝皋床に成長しその䞭心郚の赀味郚分のみが仏像などに䜿甚される、硬質で光沢に優れ薬効成分も含む、最高質の栎檀を牛頭ごす栎檀ず蚀い牛頭山むンドのマラダ山産出の栎檀の䞋郚根に近いが特に珍重される、因みに阿含経を基に最初に圫られた釈迊劂来像が檀像牛頭栎檀ず蚀う。 

泚8、仏像の衚情にアルカむクスマむル(archaik smile 叀匏埮笑ず呌ばれる事があるが叀代ギリシャに斌いおは 600480幎をアルカむク期ず呌ばれた、この時期に斌ける圫刻の埮笑をその埌の仏教矎術品に受け継がれたず蚀われるが、日本の仏像ずの関連は定かではない、わが囜の仏像では法隆寺の癟枈芳音・救䞖芳音や䞭宮寺の劂意茪芳音、広隆寺の匥勒菩薩の口元をアルカむクスマむルず蚀われる事がある、因みに請来された時代もあるが密教像には生身すなわちリアルな尊像が䞀般的ずされる。  

泚9、囜宝に指定された仏教関連の圫刻は祖垫像を含めお126尊に東京郜の西新井倧垫総持寺所蔵の蔵王暩珟鋳銅圫像(銅鏡)があり、地域別には 奈良県70䜙・京郜府䜙37尊 ・和歌山県5尊 ・倧阪府、滋賀県 各4尊 ・東京郜2尊  ・岩手県・犏島県・神奈川県・兵庫県・倧分県が各1尊ずなる。 

泚10、仏の䞉身trikayaずは倧乗䜛教ず共に仏の皮類が増えた為に敎理䞊行われた理論で「十地経論巻3」で仏身論ずしお蚀われた 「法身・報身・応身」を蚀う、しかし「倧釈同異」ず蚀われるように倧日劂来ず釈迊劂来別䜓説ず倧釈同䜓説がある様に解釈は分かれる、
䜆し仏の䞉身ず蚀う解釈は日本独自のもので、むンドに斌いおは、総おが釈迊劂来であり毘盧遮那も倧日劂来等は別尊には扱われおいない、芁するに倧日も阿匥陀も釈尊ず同䞀の尊栌である。 
    法身仏ずは―――芚りであり本来は姿圢を持たない、宇宙の真理そのもので悠久の過去から未来たで仏の王者ずも蚀える、毘盧舎那仏・倧日劂来を蚀う。
    報身仏ずは―――菩薩が修行ず善行の報いにより到達する姿を仏身で顕したもので阿匥陀劂来・薬垫劂来などを蚀う。 
    応身仏ずは―――衆生を導く為に仏囜土を離れお嚑婆に自土仏ずしお、顕した仏身で成道ず入滅を行う劂来で、釈迊劂来をさす。 

泚11、 ゟロアスタヌ教   

泚12、頂盞 犅宗寺院に仏像はあるが、本来は「頂盞」即ち祖垫の像を重芁芖しお拝する。

泚13、  劫(こう) 劫波(劫簞)の略語で梵語 kalpaの意蚳で䜛教の蚀う非垞に長い期間を蚀う、盀石(ばんじゃく)劫の䞀劫ずは四十立方里の岩に倩人が癟幎に䞀床舞い降りお衣の袖で岩面を䞀床なでる、その岩が磚耗するたでを䞀劫ず蚀う。
たた「倧智床論」に䟝れば芥子劫も有り芥子の実を癟幎に䞀床160㌔平方㍍の城郜に䞀粒ず぀萜ずし満杯になっお䞀劫ずする数え方もある、たたヒンズヌ教に斌いおは䞀劫は43億2千䞇幎ずする蚘述もある、「䞉千仏名経」には今珟圚の劫を賢劫(けんごう)ず蚀い過去の劫を荘厳劫(そうごんこう)・未来劫を星宿(せいしゅく)劫ず呌びこれを䞉䞖䞉千䜛ず蚀う、曌荌矅に登堎する賢劫の千䜛はここから由来しおいる。阿匥陀劂来は法蔵菩薩時代に五劫の間修行しお劂来ず成った、ちなみに阿匥陀五劫思惟像は東倧寺朚造・挆箔・106,0cm 宀町時代に合掌姿で存圚しおいる。
劫の分類は耇雑で宇宙圢成から繰り返す壊滅、空劫、成劫、䜏劫たでの劫を䞀倧劫、噚䞖間ず蚀う時間を単䜍ずする物を歳敷劫ずいう。
阿匥陀劂来が
四十八誓願をかなえお芚りを開いおから十劫が経過しおいるず蚀う、人間が成仏出来るたでの時間軞に䞉阿僧祇劫(さんあそうぎこう)の間に積功环埳(しゃっくるいずく)を必芁ずされる、䞉阿僧祇劫,無数10の140乗3×10の56乗×1劫ずなる、䜆し乗数は52-56等の説がある。     
因みに劫の察極にある時間を衚す極少時間は仏教甚語で刹那k
á¹£aṇa・1/75秒ず蚀う、因みに劫の察極にある時間を衚す極少時間は仏教甚語で刹那1/75秒ず蚀う、たた「䞀匟指(いちだんし)」すなわち指を䞀床匟くず65刹那ずも蚀われる。
無限倧ず蚀える過去に「錠光劂来」が出珟し、その埌も劂来が珟れ53番目に「䞖自圚王劂来」が珟れる、「宝蔵菩薩」は䞖自圚王劂来の匟子で垫から210億の䜛の䞖界を瀺され五劫の間思惟した埌に極楜浄土を完成しお阿匥陀劂来ずなった、むンド仏教䞖界には「䞀倧劫」ず呌ばれる思想があり成䜏壊空すなわち成䞖界の創造、䜏維持、壊砎壊空無を反埩するず蚀う、因みにヒンズヌ教に斌いおは䞀劫を億千䞇幎ずされおいる。

四劫䞀倧劫ずは䞖界が成立から消滅たでの間を四分割したもの、し、成劫 䞖界が成立生物などが出珟するたで、 、䜏劫 䞖界が存続し人間が䜏んでいる、 、壊劫(えこう) 䞖界が厩壊する、 、空劫(くうこう) 厩壊しお空無の状態、四劫の総おの合蚈を䞀倧劫ず蚀う、四劫は其々二十劫の期間がある、四劫で八十劫になり、これを䞀倧劫ず蚀い氞遠に繰り返すず蚀う。

海に斌いお最初の生物が誕生したのが、35億幎前、生物が陞に䞊陞しお5億幎、針葉暹林の発生は2.5億幎、広葉暹林は1.5億幎前ずの説が蚀われおいる。

ヒンズヌ教の堎合21億6千䞇幎毎に砎壊され、梵倩により創造を繰り替えされおいる、因みに梵倩の䞀日は嚑婆に斌いおは21億6千䞇幎ず蚀われおいる。


泚14、阿匥陀劂来の九品印ずは䞊品䞊生䞭品䞭生䞋品䞋生たでの九の䞊䞭䞋、品、生、の印を蚀う、経兞や儀毅に蚘述は芋られないが生前に積んだ功埳の盞違から決められるずされる。

泚15、 䞉千倧千䞖界Trisāhasramahāsāhasralokadhātu 倧蟞泉に䟝れば、仏教の䞖界芳による広倧無蟺の䞖界。
須匥山(しゅみせん)
を䞭心に日・月・四倧州四ヶ所の倧陞・六欲倩・梵倩などを含めた䞖界を䞀䞖界ずしお、これが千個集たったものを小千䞖界、それが千個集たったものを䞭千䞖界、さらにそれが千個集たったものを倧千䞖界ずう、これらを総括しお䞉千倧千䞖界、略しお䞉千䞖界ずいう、芁するに倪陜系皋床の宇宙が十億個ほど集めた䞖界を蚀う。 


泚16、村䞊専粟(せんしょう) 18511929幎 仏教史孊者、近代仏教孊の草分け的存圚で東京垝囜倧孊むンド哲孊の初代教授、「仏教統䞀論」を著し富氞仲基1715幎1746幎の倧乗秘仏説を事実䞊肯定し真宗倧谷掟の僧籍を剥奪された、その他の著䜜に「倧乗仏説論批刀」「仏教䞉倧宗摘芁」「日本䜛教䞀貫論」「日本仏教史綱」等々。

泚17、茪宝 党おの悪敵を葬る歊噚で叀代むンドに斌ける飛翔歊噚で土着信仰から生たれた転茪聖王を象城化された八角等の金茪で密教では灌頂等
にも䜿甚される。


泚18、四無畏   劂来・菩薩が説法で「造䞀阿含経」「倶舎論」に説かれるが、法華経、方䟿品、比喩品に説かれおいる、法を説く際に抱かれる䞍安に躊躇する事なく四皮の揺るぎない自信を蚀う。 劂来の堎合は、䞀切智無畏・挏氞尜無畏(ろえいじんむい)・説障道無畏(せっしょうほうむい)・説尜苊道無畏(せ぀しゅ぀どうむい)。  菩薩の堎合は、胜持(のうじ)無畏・知根無畏・決疑無畏・答報無畏。

倧日劂来ず阿匥陀劂来を陀く、劂来の印盞は右手、斜無畏䞍安陀去、巊手、䞎願願いを叶える印が倚い。

泚19、*阿匥陀仏の異称である無碍瀙光仏(むげこうぶ぀)のひかりには 枅浄・歓喜・智慧光  その埳䞍可思議にしお 十方諞有を利益せり浄土和讃    

*尜十方の無碍光は 無明のやみをおらし぀぀ 䞀念歓喜するひずを かならず滅床にいたらしむ高僧和讃。

泚20、飛鳥時代朚造の仏像は暟で造像されおいるが、癟枈芳音は本䜓が暟の䞀朚造であり、䞡腕の肘から倩衣、髷、氎瓶等は檜材で構成されおいる。

泚21、 日本では殆ど芋られないが、チベットでは持金剛ず蚀う密教仏が裞身の女性仏抱きしめる菩薩が存圚しおいる。 




2005幎2月26日調敎  4月26日7月1日。10月6日。11月27日 転茪聖王 2007幎3月27日仏像の皮類序文 7月25日泚7 2008幎4月7日 6月6日倧安寺銬頭芳音 2008幎7月10日偶像厇拝の䞀郚 幎月日 劫の䞀郚 他土仏2009幎12月31日 叀仏の時の経過 2010幎7月27日 泚14他 10月19日造像の起源  2011幎4月3日倧䜛 10月26日法華経の圱響など2012幎2月写真掲茉 2012幎4月2日仏身論加筆 2013幎1月20日吟劻鏡 5月10日 囜宝写真二枚 9月1日 2015幎1月11日倧悲闡提 7月6日傘蓋、欄楯10月10日  2016幎1月15日 5月1日 切玙盞承2016幎5月28日 6月7日 12月3日 2017幎1月19日 3月19日 8月31日  10月31日 11月15日 2018幎2月23日 6月30日 7月29日 2019幎5月1日 8月6日2020幎1月19日 6月16日 2021幎2月27日 11月22日 12月20日 2022幎4月4日 6月10日 2023幎4月7日 月日 6月12日 幎3月24日 月日補筆    ã€€ã€€

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