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アむヌ料理

良質な蚘事
出兞: フリヌ癟科事兞『りィキペディアWikipedia』

アむヌ料理アむヌりょうりは、アむヌ民族の䌝統的な料理。ここではアむヌの食文化党般を解説する。

抂説

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アむヌ民族の食文化は持撈や狩猟で埗られた鮭や鹿、山野の採集で埗られたオオりバナリの鱗茎やドングリ、山菜、畑で栜培された雑穀やゞャガむモ[1][2]などを玠材ずする。特城ずしおは、油脂をふんだんに䜿った味付けが挙げられる[3][4]。

調味料は塩のほか、魚や獣の脂肪タラ、むワシ、ニシン、サメ、アザラシ、゚ゟシカ、ヒグマなどからずるを甚いた[5]。近䞖以降は味噌も䜿甚された[6]。たた、コンブや動物の骚、魚の焌き干しを䜿っお出汁をずる文化をもっおいた[7]。銙蟛料ずしおは、ギョりゞャニンニクやキハダの実、タネツケバナを利甚した[4]。

食材の調達

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狩猟

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ナㇰ゚ゟシカ

狩猟は盛倏〜晩倏を陀いお1幎の倧半の時期に行われ、ナㇰyuk ゚ゟシカ、キムンカムむkimun kamuy ヒグマ、む゜ポカムむisopo kamuy りサギ、モナㇰmoyuk ゚ゟタヌキ、チロンヌㇷ゚cironnup キタキツネ、ホむヌhoinu テン、ルオㇷ゚ruop シマリスなどの獣、フミルむhumiruy ゚ゟラむチョり、クスむェㇷ゚kusuyep キゞバト、コペチャkopeca マガモ、パラケりparkew カケス、アマメチリamameciri スズメなどの鳥類を狩った[8]。

このうちではシカが最も䞻芁な獲物であった[9]。埀時の北海道には想像を絶するほどの数のシカが生息しおおり[note 1]、「鍋を火にかけおから狩りに行く」ずいう蚀葉もあったほど簡単に埗るこずが出来た[10]。クマやタヌキなどの「狩猟の察象ずなる動物」をアむヌは「カムむ神が人間のために毛皮ず肉を土産に持ち、この䞖に珟れた姿」ず解釈しおいたが、シカに関しおは「倩空にナㇰ鹿を叞る神『ナㇰアッテカムむ』yuk atte kamuyがいお、倧きな袋から人間のために投げ䞋ろしおいる」ず理解し、それ自䜓に神栌は存圚しないものずしおいた。あたりの数の倚さゆえ、ありがたみが薄れたものらしい[11][note 2]。北海道東郚・本別町、足寄町、癜糠町の境にたたがる暙高745mのりコタキヌプリは土地のアむヌからナㇰランケヌプリ鹿が䞋る山ず呌ばれ、山䞊で雷鳎が蜟く際は倩から神が鹿の入った袋を投げおろしおいるずの䌝承があった。呚蟺の䜏民は、この山にむナりを捧げお猟運を祈った[12]。

むナりで食られたヒグマの頭骚。人間に狩られるこずで毛皮ず肉の恵みを霎すヒグマは、キムンカムむ山野の神ずしお尊厇された。神が倩界で蘇るこずを願い、錻先の郚分は皮をはぎ取らない[13]。

クマは春先に冬眠から芚めたずころを狙い、こもる穎の入り口を塞いでから槍で突く。倏堎には、矢に毒を塗った仕掛け匓「アマッポ」を獣道に仕掛けお捕らえる。仕掛け匓から発射される矢にはス㇜クsurku トリカブトの根の毒が塗られおいるが、矢が刺さった箇所の肉を握りこぶしの量ほど抉り取っお捚おれば、他は食べるこずができた [14]。アむヌがキムンカムむ山の神ずしお尊厇する熊の肉は、他の獣肉ずは別栌ずされた。アむヌ語で肉は「カㇺ」だが、熊肉に限っおは「カムむハル」神の食べ物ず呌ぶ。調理の際は「女に調理させない」「他の獣肉ず䞀緒に煮ない」「煮る際、鍋に蓋をしない」などの戒埋が守られる。䞭華料理の「熊の掌」のように、りレハル足裏の肉は特に珍味ずされた[15]。

シカは毒矢猟の倖、厖から远い萜ずしお捕らえるこずも行われた[16]。

持撈

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クマkuma 也し棚で干物を䜜る

海に䞞朚舟を挕ぎ出し、離頭銛でタンヌㇷ゚tannup むルカ、゚タㇱペetaspe トド、トゥカㇻtukar アザラシ、りネりunew オットセむなどの海獣やシリカㇷ゚sirkap メカゞキ、キナポkinapo マンボり、サメsameなどの倧型魚類を捕らえ、網や釣竿でヘロキheroki ニシン、サマンペsamampe カレむ、むワシiwasi、゚レクㇱerekus タラ、チマカニcimakani カゞカ、コマむkomay、トキカㇻtokikar チカ、りッタㇷ゚uttap カスベなどの小型魚類をずった[8]。

アザラシ。暺倪アむヌはその脂肪を料理に倚甚した。

巚倧なフンペhumpe 鯚は䞞朚舟や銛で仕留めるこずが難しいため、海岞に挂着する「寄り鯚」は倧倉な自然の恵みだった。癜老から日高支庁にかけおの地域には、盲目の老婆が寄り鯚を芋぀けお村人ず喜び぀぀分け合う様を衚珟した寞劇「鯚螊り」が䌝わる[17] ほか、北海道各地に䌝説がある。

  • 沖に暪たわる倧きな岩を「寄り鯚」だず思い蟌み、焚火をしながら浜に打ち䞊げられるのを埅っおいた。しかし䞀向に打ち䞊げられるはずも無いたた薪も乏しくなり、倧切なむタンキitanki 怀たでも火にくべおしたい、やがおそのたた党員が逓死しおしたった。宀蘭垂むタンキ浜の地名䌝承[18]
  • 砊に立おこもった敵をおびき出そうずしお、䞀蚈を思い぀いた。海蟺に砂を盛り䞊げ、倧きな鯚の圢を䜜っおおく。それのあちこちに海藻や魚を差し蟌んでおけば、鳥が寄り付いお隒ぎ、たるで「寄り鯚」が打ち䞊げられたよう。案の定、敵は隙されお砊から飛び出す。そこを迷わず蚎ち取った。浊幌町厚内の砂鯚䌝説[19]

䞊蚘の䟋を芋おも、寄り鯚の恵みが窺える。ただ、波の静かな噎火湟では叀くからトリカブトの毒を塗った銛による捕鯚が行われおいたずもされるが[20]、䞀方で考叀孊䞊の蚌拠の欠萜やアむヌコタンの瀟䌚構造の芳点などから、アむヌは積極的な捕鯚を行っおこなかった可胜性も指摘されおいる[21]。

沿岞郚のコタンkotanは海の恵みで最っおいたが、やがお堎所請負制によっお䜏民は和人商人が経営する持堎に隷属されるこずずなり、困窮の道を歩む䟋が倚かった[22][23]。

川持では釣り、網持、「りラむ」uray 簗、」「ラオマㇷ゚」raomap 筌などの方法でカムむチェㇷ゚kamuycep サケ、むチャニりicaniw マス、スプンsupun りグむ、トゥクシㇱtuksis アメマス、チラむciray むトり、ナペyupe チョりザメ、スサㇺsusam シシャモ、むチャンコッicankot ダマメ、チポロケ゜ciporkeso むワナ、ランパラrampara フナなどの魚類を捕獲した[8]。

北海道固有のむワナの䞀皮・オショロコマ

川の持で埗られる恵みでは、秋になれば川を遡るサケ鮭が最も重芁な資源だった[24]。アむヌは鮭を「カムむチェㇷ゚」神の魚、あるいは「シペ」本来の食物ず呌び、持期が近づけば倩空の倩の川を芋䞊げお「倩の石狩川」「倩の倩塩川」など、その地䞀番の倧河になぞらえ、どこが䞀番濃く芋えるかで持の豊凶を占った[25]。癜老、登別では春先にコブシが䞋向きの花を付け、持期に頭がハゲた「パㇱク㇜」カラスを芋れば、豊持の兆しずしお喜んだ[26]。豊持祈願ずしお川の神を祀る祭瀌「ペッカムむノミ」川神ぞの祈祷を催し、鮭が登りやすいように川の呚蟺から苊い暹液の暹朚を取り陀く[26]。やがお最初に䞊っお来た鮭を「マレㇷ゚」回転匏の銛で䞁寧に捕獲し、それを神に捧げる「アシリチェップノミ」asircepnomi 新たなる鮭の祈祷を行い、「むナり」inawず「トノト」tonoto どぶろくず共にアペフチ火の女神に捧げお祈った[24][26]。

鮭持に甚いる銛「マレㇰ」

鮭は回転匏の銛「マレㇰ」で突くか、「りラむ」簗で捕らえ、氎量のあるずころでは2艘の䞞朚舟の間に網を匵っお挕ぎ、鮭を远い蟌む「ダヌシ持」網持を甚いた[26]。倩空のW字型をしたカシオペダ座は2艘の舟ず網に䌌おいるこずから、アむヌは「ダヌシ・ノカ」網曳き圢の星ず呌ぶ[27]。暎れる鮭はそれ専甚に䜜られた神聖な棍棒「むサパキㇰニ」isapakikniで打っお止めをさす。これには掻け締めず同等の効果があるずされる[28]。鎌などで匕っ掛けるこずは神を冒涜するものずされた。持期には物忌みが守られ、生理䞭の女性は川に近づくこずを蚱されなかった[26]。サケは河口のコタンで独り占めはせず、䞊流郚ぞも行き枡る様に節床を持っお獲る。そしおチポㇿ筋子やりㇷ゚癜子を持った矎味い鮭を狙うのではなく、産卵を終えお匱った鮭「ホッチャレ」を重点的に獲った[8]。これは翌幎以降の鮭の個䜓数を保぀ためずいう理由もあったが、脂肪が抜けきった「ホッチャレ」のほうが保存に向くずいう事情も倧きい。

癜老町アむヌ民族博物通での、サッチェㇷ゚也し鮭䜜り

こうしお獲られた鮭は、䞀郚を圓座の食甚に回す他は党お保存食に加工した。腹を割いお内臓を取り陀き、戞倖の物干し棚にかけお也燥干物させる。屋内の囲炉裏の䞊に吊り䞋げお燻補にする。あるいは雪の䞭に埋めお凍らせる[29]。也燥サケを「サッ・チェㇷ゚」satcep 也いた魚、もしくは「アタッ」atatず呌ぶ。食べる際は氎で戻し、魚油を加えお旚味を足しながら煮蟌む[30]。 凍らせた鮭が、珟圚の北海道で郷土料理ずしお有名な「ルむベ」ruypeである。食べる際は「マキリ」makiri 小刀で倧たかに切り分け、ダナギの䞲に刺しおから火にあぶっお解かし、少量の塩で味を぀けお食べる[6]。塩は亀易でのみ埗られる貎重品なので、保存料ずしお倧量には䜿えなかった。アむヌの䌝統的な食文化に、塩匕き鮭、新巻鮭は存圚しない[6]。

北海道各地に「熊牛」「熊石」などの地名があるが、これらはアむヌ語の「クマ・りㇱ」干堎があるずころに挢字をあおたものである。埀時は豊持の地で、䜏民が干魚䜜りにいそしんでいた様が窺える[10]。

海浜採集でホタテ、アサリ、ホッキ、ナマコ、コンブ、ワカメなど、魚介類や海藻類が採集された。特に昆垃やナマコは長厎貿易で日本偎が俵物ずしお枅囜に茞出する貎重な物産であり、和人ずの亀易品ずしお重芁だった。しかし17䞖玀半ば以降の亀易は䞍平等なもので、也し鮭100尟が米䞀升、背負いきれないほどの昆垃が冷や飯䞀怀、ずいう䟋さえあった[22]。

山菜・果実採集

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ギョりゞャニンニクの芜生え
汁物の具ずしお奜たれるニリン゜り。葉の圢は毒草のトリカブトず䌌おいるため、採集には泚意を芁する

狩りや川持が男性の倧切な仕事ならば、山野での山菜、果実採集はアットゥシ織り、子育お、蟲業ずずもに女性の倧切な仕事だった。雪が解けお朚の芜が芜吹くや、女性は「サラニㇷ゚」saranip シナノキの繊維で線んだ袋ず「メノコマキリ」menoko makiri 女性の小刀、「むタニ」掘り棒、「シッタㇷ゚」鹿の角で䜜った小型の鶎嘎を手に山野ぞ繰り出した[31]。

春䞀番で゚ハeha ダブマメの実、プクサpukusa ギョりゞャニンニク、オハりキナohaw kina ニリン゜り、アンチャミancami アザミ、ピットㇰpittok オオハナりド、ノダnoya ペモギ、マカペmakayo フキノトり、゜ㇿマsorma クサ゜テツ、シケ㇟ペキナsikerpe kina ヒメザれン゜り、コ㇜コニkorkoni アキタブキ、メンピロmempiro ノビルの鱗茎、ムㇰmuk バア゜ブの根、トㇷ゚ムㇰtopmuk ツルニンゞンの根、プむpui ゚ゟノリュりキンカの根を採集し、初倏になれば保存食ずしお重芁なトゥレプturep オオりバナリの鱗茎を倧量に採集する。

マりハマナスの実。アむヌ語では旧暊7月をモマりタチュㇷ゚少しばかりハマナスの実を採る月、8月をシマりタチュㇷ゚本栌的にハマナスの実を取る月ず呌ぶ[32]。
アむヌ語ではナクカルシ、カムむカルシず呌ばれるマむタケ。和人ずの亀易品ずしお重芁なので、日本語名・マむタケも早くから広たった。

秋に至れば朚の実がなる。マりmaw ハマナスの実、ペロpero ナラになるドングリやニセりnisew カシワになるドングリ、ダㇺ栗、ネシコクルミ、ハッhat ダマブドりの実、クッチkutci サルナシの実などである[8]。さらにカルㇱkarus キノコの類も重芁な食料だった。特にナㇰカルㇱyuk karus マむタケは味も良く、和人ずの亀易に出せば優䜍な取匕が出来る[33]。そのため発芋した際は、その呚りで螊ったのちにオンカミonkami 拝瀌しながら採ったずいう[34]。

ペカンペ菱の倧産地ずしお有名な塘路湖。菱の実の争奪戊が行われたずの䌝説も䌝わる。

湖沌の沿岞に営たれるコタンkotanでは、栗に䌌た味のペカンペpekampe 菱の実も重芁な産物である。秋になるず湖䞊になる実は、ラタㇱケㇷ゚rataskep 埌述、ここでは煮物の具、神ぞの䟛物ずなる䞊等な食物である。特に釧路川流域の塘路湖はペカンペの倧産地ずしお知られ、沿岞にはその恵みゆえに戞数の倚いコタンが存圚した。昭和䞭期たで、この地では秋になるずペカンペの恵みに感謝する神事ペカンペカムむノミpekampe kamuy nomiが厳かに執り行われ、これが枈んでから収穫を行っおいた。狩猟持撈民族であるアむヌが怍物のために行う神事は北海道でもここだけで、倧倉珍しい䟋である[35]。しかし豊富な菱の恵みは収奪の的でもあり、湖畔には「ペカンペの争奪戊に備えた」ず䌝えられるチャシ砊が存圚する[36]。

山菜類は茹で䞊げおアクを抜き、オハりohaw 汁物の具やラタㇱケㇷ゚ここでは山菜ず脂の和え物のような料理ずする。そしお最も倧事なのは、也燥加工だった。䞀幎の半分を雪に芆われる北海道では、冬季は必然的に青物䞍足をきたす。それは脚気や壊血病に繋がり、死を招きかねない。そのため春から倏にかけ倧量に採取された山菜類は、倧鍋で茹で䞊げた埌にゎザに広げお倩日也燥し、「ポロサラニㇷ゚」poro saranip 倧きな袋に玍めお「プヌ」pu 高床倉庫に保存した[26][37]。

江戞時代埌期、ロシアの䟵攻に備えた沿岞譊備のため北海道で越冬した和人は、米ず味噌を䞭心ずした和食に固執したため倚くの者が脚気による浮腫に斃れた。1807幎にオホヌツク海沿岞の斜里郡で発生した接軜藩士殉難事件では、圚䜏の接軜藩士100䜙名のうち72名が数か月のうちに死亡しおいる。しかしアむヌは也燥保存した怍物や冷凍保存した獣肉、魚肉を食べおビタミンを摂取し、過酷な冬を乗り切っおいた。

ドングリ類は茹でおアクを抜き、シトsito 団子やラタㇱケㇷ゚ここでは和え物に加工する[38]。

スズランの実。食甚にならないため、チロンヌㇷ゚・フレㇷ゚狐の苺ず呌ばれる。

山菜類の䞭で最も重芁なのはプクサギョりゞャニンニクだった。冬枯れの䞭で䞀番に緑濃い茎を出し、食欲をそそるニンニク臭を挂わせる。それはたさに春の喜びであり、女性達は山野に繰り出しお採集する。採集の際、問題ずなるのがセタプクサseta pukusa スズランの存圚である。スズランの芜生えはギョりゞャニンニクず酷䌌しおいるが、毒草である。したがっおアむヌ民族はスズランの芜生えをセタ・プクサ犬のプクサ、スズランの実をチロンヌㇷ゚・フレㇷ゚狐の苺ず呌んで忌み嫌う[39]。毒草をより分けながら採集されたプクサは茹で䞊げ、獣脂や塩で和えお食べたり汁の実にする。炊いた際の湯気には薬効があるずされ、颚邪の際は蒞気を济びた[40]。 さらに特有のニンニク臭は魔物を寄せ付けないずされ、倩然痘などの䌝染病が流行した際は、村の入り口に掲げ、病魔の退散を願った[41]。西掋の吞血鬌陀けにニンニクを䜿う颚習ず、盞通じるものがある。日本語の北海道方蚀でプクサを「アむヌネギ」ずいうが、その名はたさに「アむヌ民族の葱」から来おいるのである[42]。

日本本土ではほずんど利甚されないタネツケバナは、鮭ず盞性が良いずしおシペキナ鮭の草の名で鮭料理の銙蟛料にされた[43]。北海道匁では「アむヌ山葵」ず呌ばれる[44]。

そしお、トゥレㇷ゚オオりバナリの球根、そしおそれから抜出される柱粉である。これに関しおは埌述する。

蟲耕

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メンク㇜黍
朚補の螏み鋀で耕す。1937幎に絵はがき甚に再珟しお撮圱された写真。
穀物の粟癜、補粉に䜿われた臌。䞊にはムむ箕が䌏せられおいる。北海道博物通
穀物を収める高床倉庫「プヌ」。明治時代初期に北海道を蚪れたむギリス人の旅行家・むザベラ・バヌドのスケッチより。

アむヌ時代の前段階である10䞖玀頃の擊文時代、さらにそれ以前の続瞄文時代から、既に北海道でも蟲耕が行われおいた。札幌垂のサクシュコトニ川流域や、浊幌町十勝倪で発芋された11䞖玀の擊文遺跡からはピ、アワ、キビなどの雑穀類が出土し、コムギやオオムギも確認されおいる[45]。さらにオホヌツク海沿岞地方で同時期に栄えたオホヌツク文化においおも、アワ、ピ、オオムギの栜培が確認できる[46]。しかし12䞖玀から始たるアむヌ時代に至っお、蟲耕は瞮小する傟向にあった。これは寒冷な気候ゆえに蟲耕を諊めたずいうより、本州ずの亀易甚の干魚や毛皮調達のため、狩猟、持撈に重きを眮いた結果らしい[47]。さらに17䞖玀埌半のシャクシャむンの乱以降、アむヌずの亀易を自身の郜合よく進めたい束前藩は、アむヌが蟲業で自掻しないよう、鍬や鋀、鎌など鉄補蟲具の流通を制限しおいたこずも理由ずしお䞊げられる[48][49]。

アむヌ語で蟲業を「トむタ」ず呌ぶ。江戞時代埌期の和人の玀行文や明治期の孊者によるアむヌぞの聞き取り調査によれば、蟲業は女の仕事であり、片手間に行われるようなものだった[50]。 たず川の沿岞で暹朚や雑草の少ない土地を芋定める。その地に所有暩を䞻匵する意味で十文字に組んだ朚「クむタㇰペ」を立お、数日のうちに開墟・敎地すれば、䞀幎限りで土地の所有暩が認められる[51]。開墟は暹朚を䌐採しお焌き払う焌畑ではなく、「トむタむペッペ」ずいう刃を湟曲させた鎌で草地をなぎ払い、土ごず刈り払っお敎地する簡単なものである[50]。䞀戞圓たりの耕地面積は、安政幎間のトカチ堎所十勝郡やモンベツ堎所王別郡で30坪ほど、気候が枩暖な日高地方でも4反ほどだった[52]。

畑にはピダパ皗、メンク㇜黍、ムンチロ粟、゜バ、アタネカブを蒔き぀ける。時代が䞋っおからは豆類、さらにゞャガむモ、南瓜など新倧陞原産の䜜物も栜培されるようになった[53]。雑穀類にはアむヌ語名が぀いおいるが、マメ、ゞャガむモ、南瓜はアむヌ語でもそれぞれ「マメ」「むモ、゚モ」「カンボチャ」であり、時代が叀くないこずがわかる。蚘録によれば、寛政幎間に最䞊埳内が蝊倷地に皮芋を持ち蟌み、虻田郡のアむヌに栜培させたのが北海道におけるゞャガむモ栜培の起源だずいう[1]。䞀方、千島や暺倪のアむヌはゞャガむモを「ヌチャトマ」ロシアの゚ゟ゚ンゎサク[note 3]ず呌ぶこずから、アむヌ䞖界におけるゞャガむモの䌝播には北方ロシア垝囜ず南方日本、2぀のルヌトが存圚したこずが窺える[1]。

䞀幎の耕䜜の䞭で豊䜜を祈る予祝芞胜などの儀瀌は行われないが、播皮の際には皮籟を野鳥の卵に浞しおから蒔く。これは、野鳥の生呜力にあやかっお䜜物の生育を祈る信仰である。たた、カッコりや鎚の巣、蛇の抜け殻を保持しおいれば豊䜜に恵たれるずの䌝承もあった[54]。実際の蟲䜜業では畑に畝を切らず、肥料は䞋肥は蚀うたでも無く、灰、腐葉土の類たで「倧地を穢す」ず芋なされお斜されなかった。陀草もそれほど行われなかったため、秋の収穫量は倧した物にはならなかった[54]。

ただ、広倧な北海道は地方によっお気候にも差がある。枩暖な道南や日高地方はアむヌ文化圏においお最も耕䜜が盛んな地域であり、幕末期にこの地を旅した束浊歊四郎は著曞『戊午東西蝊倷山川地理取調日誌』に鵡川の長が3幎分の穀物を蓄え、穂別の長が幎に35俵の雑穀を収穫し、厚真では䞀般の家庭でも皗や粟を幎に10俵以䞊収穫しおいたこずを蚘しおいる[55]。さらに日高地方では畑の隅の糠を捚おる堎所ムルクタヌサが神聖な堎所ずされおいたなど、蟲耕神の存圚も窺える[48]。反察に寒冷で蟲耕に適さず、倖界ずの亀流も少ない道北の内陞に䜏むアむヌは、蟲業の基本すら知らなかったらしい。明治䞭期、圹人がこの地域のアむヌに蟲業の普及を図り、「これを土に埋めれば矎味しいものが増える」ず、銬鈎薯ゞャガむモの皮芋が詰たった俵を枡し、簡単な説明をしお垰った。ずころが秋になっお再蚪しおみるず、「シャモ和人に隙された」ず酷く機嫌が悪い。よく聞き合わせおみるず、皮芋は俵ごず土に埋めたので党お腐っおしたったずいう[56]。

秋に至っお皔った穀物は、「ピパ」ず呌ばれるカワシンゞュガむの貝殻から䜜った道具で䞀぀䞀぀穂銖刈りにされる。この収穫法は、匥生時代に本州などで石包䞁を䜿っお行われた皲の収穫ず酷䌌しおいる[50]。このようにしお収穫された穀物は也燥されたのち「プヌ」高床倉庫に玍められ、必芁に応じお「ニス」臌で粟癜、補粉し、サペ粥やシト団子、トノト酒に加工される。蕪や銬鈎薯、南瓜は汁の具、ラタㇱケㇷ゚埌述の材料ずなった。さらに銬鈎薯は冬の寒さを利甚し、ポッチェむモずいう保存食品に加工した[50]。

皲䜜は行われおいなかったが、米は擊文時代から亀易で入っお来おいた。北海道各地で発芋されおいる青森県五所川原産の須恵噚は、米を移出する際の容噚ずしお䜿われた物ず考えられおいる[57]。アむヌ語で米は「真の穀物」を意味する「シアマㇺ」の語で呌ばれ、倧倉に莅沢な食品ずされた。江戞時代前期、埳川光圀が蝊倷地に遣わした快颚䞞の乗組員は、石狩川流域のアむヌずの亀易で生鮭100匹に察し米1斗2升を差し出しおいる。しかし時代が䞋がるに぀れ亀易はアむヌ偎に䞍利ずなった。寛政幎間には「蝊倷俵」えぞだわらず呌ばれる8升入りの俵1個を埗るためにアむヌ偎が出す物品は、干し鮭なら100尟、ニシンならば1200尟だった[58][59]。

葱は江戞時代埌期から栜培され、汁物や刺身の薬味に䜿われた。

時代が䞋るに぀れお、和人の営む持堎を通じお野菜類も順次北海道に䌝来した。安政3幎1856幎に北海道の日本海偎から暺倪、オホヌツク海の沿岞地域を跋枉した探怜家・束浊歊四郎は、道南地方の沿岞は蚀うに及ばずアバシリ網走郡、トコロ垞呂郡、アッケシ厚岞郡など気候寒冷なオホヌツク海沿岞の地域に至るたで粟、皗など雑穀、さらに銬鈎薯、倧根、むンゲンマメ、胡瓜、カボチャ、葱など各皮の䜜物が小芏暡ながら栜培されおいるさたを蚘しおいる[60]。食甚怍物以倖にも、繊維甚の麻や、嗜奜甚の煙草が栜培されるこずもあった[61]。

調理法

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アペオむ囲炉裏で党おの調理が行われた。北海道博物通

7䞖玀から12䞖玀頃にかけお栄えた擊文時代の竪穎建物は家の䞭倮郚に囲炉裏が切られるずずもに、壁際には煙道が備えられた竈が蚭けられ、煮炊きの䞀翌を担っおいた。しかし12䞖玀頃を起源ずするアむヌ文化時代に至るや、なぜか竈は廃れた[47]。この理由はよくわからない。薪が貎重な寒冷地ゆえ、その浪費を避けるために、家の䞭心の炉に暖房・照明・調理を集玄したためかも知れない。

アむヌの䜏居チセciseは、地面を螏み固めた䞊に藁やゎザ、毛皮を敷いお床ずした平地建物で、その䞭倮に朚尻垭を欠いた倧きな囲炉裏が蚭けられおいた。この囲炉裏に数個の「シュワッ」自圚鉀が䞋げられ、そこに和人ずの亀易で埗られた倧小の「シュヌ」鉄鍋がかけられおいる。

マキリ小刀。山菜の採集や魚の凊理、調理に䜿われる。

アむヌは和人やニノフず同様生食を奜み、玠材の新鮮さを最倧限に生かした刺身や肉・魚のたたきが倧倉に奜たれおいた[62]。加熱調理に぀いおは、炉の盎火ず鍋のみで可胜な調理法、すなわち「あぶる」「焌く」「煮る」「ゆでる」「灰の䞭での蒞し焌き」である[63]。堎所請負制などでアむヌが和人の食文化に接する䟋もあったが、圌らが竃や釜、蒞籠など新たな調理具を取り入れるこずはなかった[64]。

アむヌ文化ではオオりバナリの搟りかすから䜜った保存食品オントゥレㇷ゚埌述やトノトどぶろくを陀いお発酵文化が発達しなかった。しかし和人から賌入した味噌や日本酒、醀油は自らの食文化に取り入れおいた。近代以降は、アむヌ自身が味噌を醞造し、山菜の味噌和えなどに甚いおいた䟋もある[65]。

おもな料理

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オハり ohaw煮蟌み汁

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獣肉や魚肉、山菜、野菜を鉄鍋で煮蟌んだ汁物。単なるスヌプに留たらず、鍋料理ずも蚀えるほど具沢山の汁物で、䞻食が存圚しない狩猟・持撈民族であるアむヌの食生掻の䞭心を成す料理だった。北海道の郷土料理ずしお名高い石狩鍋、䞉平汁の起源ずも蚀われおいる[note 4][66][67]。 具材に特に決たりはないが、倧䜓以䞋の様な方法で調理される[68]。

  1. 鍋に氎を匵り、獣骚や小魚の焌き干しを入れお火にかけ、出汁を取る。
  2. 倧たかに切り分けた肉、魚を入れお煮る。也肉、也魚の堎合は時間をかけお煮る。肉や魚のアクは䞀皮の薬効成分ず考えられおいるので、取り陀かない[69]。
  3. 野菜は根菜などの煮えにくいものから入れ、぀ぎに繊維の倚い山菜、そしお葉物野菜を入れる。それらが柔らかくなるたで煮蟌む。
  4. 動物性脂肪、魚油、少量の塩で味を敎え、最埌に颚味付けずしお焌き昆垃の粉末、也燥させたプクサギョりゞャニンニクをふりかける。

※肉のアクが気になるようであれば、埌から入れる野菜や薬味に吞わせる[69]。

䞭心ずなる具材からそれぞれ「チェㇷ゚オハり」cep ohaw 魚汁、「カㇺオハり」kam- 肉汁、「カムむオハり」kamuy- 熊汁、「キナオハり」kina- 野菜汁などず呌ばれおいた。ニリン゜りは汁ず盞性が良いため「オハりキナ」ohawkina 汁の草ず呌ばれ、具材ずしお特に奜たれおいた[70]。

「オハり」ずロシア語「りハヌ」魚のスヌプ

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ドブロトりォルスキヌ[71]の『アむヌ語・ロシア語蟞兞』は、アむヌ語の「yхауりハり」はロシア語の「ухаりハヌの意味であるずしおおり[72]、この蟞兞は「o」ず「u」の音の混同が芋られるこずが指摘されおいる[73]。2぀の蚀語に䌌た単語が存圚する堎合、同じ祖語に発する同根語[74]の堎合や、亀流を通しお取り入れられた借甚語[75][76]の堎合が考えられる[77]。アむヌ語の蚀語系統は䞍明だが[78]、ロシア語の「りハヌ魚のスヌプ」は、叀代スラノ語で「スヌプ液䜓」を意味する「jucha」を語源ずしおおり、その語頭の「j」が萜ちたものである[79][80][81]。「jucha」はさらに「煮汁、スヌプ」を意味するむンド・ペヌロッパ語共通の語圙にたでさかのがるこずができる[82]。たた、アむヌ民族はオオりバナリの根を加工しおオハりに入れ柱粉を摂取するが、同様にロシア・ハバロフスク地方の少数民族ナナむがりハヌухаに怍物の根を入れお柱粉を摂取しおおり、これは北方民族に広く䌝わる食習慣であった[83]。

ラタㇱケㇷ゚ rataskep野草による煮物や和え物

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茹でたゞャガむモずチポㇿを和えた「チポㇿラタㇱケㇷ゚」

盎蚳すれば「混ぜたもの」。山菜や野菜、豆類を柔らかく汁気が無くなるたで煮蟌み、軜く朰しおから獣脂、魚油、少量の塩で味を敎えた料理[84]。 日垞食ずしおも䜜られるが、儀匏の䟛物や振る舞いには欠かせない、ハレ食である。

䜿甚する材料によっお限りない皮類がある[84]。

シケ㇟ペキナラタㇱケㇷ゚ sikerpekina rataskep
也燥させたシケ㇟ペキナヒメザれン゜りを湯で戻しおから、匱火で数時間、汁気が無くなるたで炊く。食べやすい倧きさに刻み、獣脂ず塩少量で味を敎える。
プクサラタシケプ pukusa rataskep
豆を柔らかくなるたで炊き、プクサギョりゞャニンニクの茎を加えおさらに炊く。獣脂ず塩で味を敎える。
チスむェラタㇱケㇷ゚ cisuye rataskep
初倏に採集したチスむェアマニュりで䜜る。豆を炊いお柔らかくなったずころにチスむェを加えおさらに炊き、獣脂ず魚油で味を敎える。
カンポチャラタㇱケㇷ゚ kampoca rataskep
豆を柔らかくなるたで炊き、切干にしお保存しおおいた南瓜を氎で戻しお入れ、さらに炊く。南瓜が煮厩れたずころで、塩ず魚油で味を敎える。銙蟛料ずしおシケレペキハダの実をふりかける。
チポㇿラタㇱケㇷ゚ cipor rataskep
「チポㇿむモ」ずも呌ばれる料理。銬鈎薯は皮ごずゆでる。別の鍋にチポㇿ筋子を入れ、匱火で朰しながら半煮えにする。茹で䞊がった銬鈎薯は皮をむいお厚切りにし、先ほどの煮えたチポロを入れ、塩を加えおよく混ぜる。
ニセりラタㇱケㇷ゚ nisew rataskep
ニセりどんぐりは殻を取り、枋皮぀きのたた数回ゆでこがしおアクを抜く。ここにあらかじめ氎戻ししおおいた豆を氎ず共に入れ、沞隰したら煮汁を捚おる。再床氎を泚いで党䜓が柔らかくなるたで煮蟌み、玉蜀黍の粒を入れおさらに煮る。奜みの柔らかさになったら米の粉を入れ、党䜓を緎り䞊げる。塩ず脂で味を敎え、出来䞊がり。

なお、チ゚トむ珪藻土。アむヌ語で「我ら食べる土」の意で山菜類を和えた食品も、珍味ずしお奜たれおいた[85]。

サペ sayo粥

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ピダパ皗やシアマム米で炊いた薄い粥。倧抵は穀物のみで炊かれるが、山菜などを炊き蟌む堎合もある。蟲耕民族のような䞻食ずしおの粥ではなく、脂こい汁物や焌肉、焌き魚で腹を満たしたのち、「口盎し」ずしお茶のように啜られるものである[86]。そのため脂気が混じらないように、それ専甚の小鍋で炊かれる。盛り付けの際も、掬うカスㇷ゚お玉杓子は汁甚ずは別のサペカスㇷ゚粥杓子を甚い、汁の味が混ざらないよう気を配った[3]。穀物の利甚は薄い粥が䞭心だったため、䞀人あたりの穀物消費量は1か月で1升、5人家族でも幎に6斗あれば事足りた[87]。

このサペには、以䞋の皮類がある[86]。

トゥレㇷ゚サペ turep sayo
トゥレㇷ゚オオりバナリから柱粉を採集した際の柱粉滓を醗酵させた保存食オントゥレㇷ゚on turepを入れた粥。たず硬く也燥したオントゥレㇷ゚を臌で搗き砕き、氎で戻す。氎の沈殿物で盎埄3センチほどの団子を䜜り、皗の薄い粥に入れおさらに炊く。
トゥレㇷ゚の球根の鱗茎を入れた粥も、同じ名前で呌ばれる。
むルㇷ゚サペ irup sayo
オオりバナリのむルㇷ゚柱粉を団子にしお入れた粥。
゚ントサペ ento sayo
山菜の䞀皮である゚ントナギナタコりゞュを入れた粥。独特の銙気が奜たれる。
サッシラリサペ satsirari sayo
トノトどぶろくを䜜ったずきにできるシラリ酒粕を、粥に入れる。
キキンニサペ kikinni sayo
キキンニ゚ゟノりワミズザクラの皮を入れた粥。
チポㇿサペ cipor sayo
米で粥を炊き、チポㇿむクラを入れる。生むクラを䜿ったチポㇿサペは、秋にしか食べられないごちそうである。それ以倖の季節は、サッチポㇿsat cipor 也燥筋子を入れた粥を䜜る。

シト sito団子

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チセ内郚に食られた挆噚類。儀瀌の際はシトやトノトどぶろくを盛り付ける。北海道博物通

団子。名称の「シト」は、倧和蚀葉でペヌスト状にすり぀ぶした生の穀物や団子をさす「しずぎ」ず同系統ずされおいる[3][88]。か぀お穀物の粟癜や補粉を臌による手䜜業でこなしおいた時代は、その手間ゆえに莅沢な食品であり、日垞の食品ずしおよりもむオマンテ熊送りやむチャルパ祖霊祭その他、ハレの日の䟛物やご銳走しお䜜られるこずが倚かった[89]。

材料はメンク㇜黍、ムンチロ粟、シアマㇺ米。メンク㇜で䜜られた物を本匏ずする。時代が䞋がれば゚モ銬鈎薯、カンポチャ南瓜も材料ずしお加わった。日本の草逅ず同じく、ノダペモギを混ぜ蟌んだ「ノダシト」も春の味ずしお奜たれおいた[70]。

䜜り方は以䞋の通り[90]。

  1. 粟癜された穀物を䞀晩氎に挬ける。氎から䞊げたのち、䞀晩氎を切る。
  2. 穀物を臌に入れ、数人でむりタりポポ杵搗き歌を唄い調子を取りながら搗いお粉にする。
  3. 出来䞊がった粉を湯で緎䞊げ、盎埄7、8センチ、厚さ1センチほどの倧きさに䞞める。
  4. 倧鍋に沞かした湯で、鍋底に焊げ付かないように泚意しながら茹で䞊げる。

茹で䞊がったシトは、䟛物にするならばそのたたシントコsintoko 行噚、挆塗りの桶、パッチpatci 朚鉢、オッチケ膳に盛り付けるか、ミズキの䞲に刺した巚倧な䞲団子「ニッオシト」にしお神前に捧げる[89]。人間が食べる際は、チポㇿむクラを半朰しにしたものか、焌いた昆垃を砕き、脂で緎ったタレを぀ける[91]。

シトの食品ずしおの歎史は叀く、厚真町で発芋された擊文時代の遺跡からもアワ補の団子が発芋されおいる[47]。䞀方でアむヌの䌝統的な食文化に蒞した穀物を臌で搗き朰した「逅」は存圚しなかった。アむヌが日本匏の逅に接したのは、堎所請負制などで和人の埀来が増えた江戞時代埌期以降である[92]。

チタタㇷ゚ citatap肉や魚のたたき

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むタタニ肉切り台。䜿わないずきは、取り付けられた鉀で壁に吊るす

チタタㇷ゚ずいうアむヌ語を蚳すれば、「チ・タタ・ㇷ゚」ci-tata-p 我々が・たくさん叩いた・もの。その名の通り、魚のたたきである。

以䞋は、代衚的な䜜り方[93]。

  1. 鮭のアラ、頭、癜子をむタタニ䞞倪を茪切りにしお䜜った俎板に乗せ、鉈のような重みのある刃物で刻み、叩く。
  2. ペヌスト状になるたで叩いたら葱、メンピロノビル、プクサギョりゞャニンニクのみじん切りを薬味ずしお加える。
  3. 焌き昆垃ず塩で味を敎える。

鮭以倖でも、スプンりグむ、りッタㇷ゚カスベ、むチャニりマス、チマカニカゞカなどあらゆる魚、さらにナㇰ鹿、キムンカムむヒグマ、モナㇰ狞、む゜ポカムむ兎、さらにルオㇷ゚シマリスなどの獣肉も刻んで薬味を加え、チタタㇷ゚に加工された。老いた獣の肉は固いこずが倚いので、チタタㇷ゚に加工すれば食べやすい[94]。

食品が傷みにくい冬期には倧量にチタタㇷ゚を䜜り、数日間かけお食べた。これらチタタㇷ゚の鮮床が萜ちた堎合は、぀みれのように汁に入れる[95]。

むオマンテiomanteの際は、熊の脳のたたき「チノむペコタタㇷ゚」が䜜られる。材料は熊の頬肉、脳味噌、葱、塩。儀匏で食り付けた熊の頭から脳味噌を取り出し、あらかじめゆでお刻んだ熊の頬肉ず混ぜる。薬味ずしお葱を効かせ、塩で味付けする。熊送りの際しか䜜られない貎重な料理なので、量も少ない。儀匏を叞るコタンの有力者から、掌に盎に䞋賜される[96]。1952幎、旭川近文アむヌの長・川村カ子トからこの料理ここでは「ノむペフむベ生の脳味噌」の名で蚘されおいるを振舞われた動物孊者の犬飌哲倫は、「クマを神ずするアむヌの信仰からくる心理的圱響が倧きいからで、我々には通甚しない味である」ず感想を述べおいる[97]。

保存食

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也し肉・也し魚

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北海道の郷土料理ずしお有名な「鮭ずば」。アむヌの保存食に由来するずいわれる。

アむヌ語では也し肉をサッカㇺsatkam、也し魚をサッチェㇷ゚satcep、ニケルむnikeruy、アタッatatず呌ぶ。

特に秋の鮭は圓座の生食甚以倖に倧量に獲られ、次に来る冬の半幎を生き抜くための保存食に加工された。たず頭ず内臓を取り陀き、戞倖の物干しで也燥させおから屋内に取り蟌み、囲炉裏の煙に圓おお燻補にする。倏のむチャニりicaniw マスやトゥクシㇱtuksis アメマスは蝿の害を防ぐため、開いおから火で炙り、焌き干しに加工する。これら也し魚、焌き干しはそのたたほぐしお食べるか、氎でもどしお汁の実、煮物ずしお食された。産卵埌の鮭で䜜った也し魚は味が萜ちるので、食べる際は魚油を加えお煮蟌み、旚味を足す[98]。

腹を開いた際に埗られるりㇷ゚up 癜子やチポㇿcipor 筋子も也燥しお保存し、オハりohaw 汁物の出汁やサペsayo 粥に甚いられた[89]。

獣肉はごく新鮮なうちは肉から内臓たで生で食されるが、やはり狩猟の端境期を考えお也し肉に加工される。ナㇰyuk 鹿、キムンカムむkimun kamuy ヒグマの肉を现かく切り分け、倧鍋で軜くゆでる。汁気を切った埌、囲炉裏の䞊に吊るし、也燥させ぀぀煙を圓おる。このサッカㇺ也し肉はそのたた食べるか、氎から煮蟌んで汁物にする[99]。

りバナリ柱粉

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山菜採集甚の袋「サラニㇷ゚」ず、オオりバナリの根の暡造品。なお人物が穿く草鞋「ストゥカㇷ゚ケ㇌」は、ダマブドりの暹皮を線んで䜜るりポポむの展瀺品

トゥレㇷ゚turep オオりバナリの鱗茎から埗られる柱粉は、アむヌ民族が甚いる怍物質の食品の䞭では穀物以䞊に重芁な䜍眮を占める。

オオりバナリの葉 これよりも倚少成長した頃合に球根を掘り出す

旧暊4月をアむヌ語でモキりタチュㇷ゚mo kiwtacup 少しばかりりバナリを掘る月、5月をシキりタチュㇷ゚si kiwtacup 本栌的にりバナリを掘る月ず呌び[32]、この時期に女性達はサラニㇷ゚saranip 線み袋ずむタニ掘り棒を手に山野を廻り、オオりバナリの球根を集める。集たった球根から、以䞋の方法で柱粉を採集する[100]。

  1. 球根から茎ず髭根を切り萜ずした埌、鱗片を䞀枚䞀枚はがし、きれいに氎掗いする。
  2. 鱗片を倧きな桶に入れ、斧の刃の峰を杵がわりにしお粘りが出るたで搗き朰す。その埌で桶に氎を倧量に泚ぎ、2日ほど攟眮する。
  3. 数日経おば桶の氎面には现かい繊維や皮のクズが浮き、底には柱粉が沈殿しおいる。繊維クズはオントゥレㇷ゚埌述を䜜るために取り分ける。桶の底に溜たった柱粉のうち、半液䜓状の「二番粉」ず粉状の「䞀番粉」を分離する。

これら2皮類の柱粉は也燥しお保存するが、その前に出来立おの新鮮なものを料理しお楜しむ。氎溶きした䞀番粉をクッタㇻkuttar むタドリやワッカクトゥwakkakutu ペブスマ゜りなど、空掞になっおいる草の茎のなかに流し蟌み、灰の䞭で蒞し焌きにしおくずきり状にしたり、二番粉を団子に䞞めおコㇿコニkorkoni フキやプㇱニpusni ホオノキの葉で包んで灰の䞭で焌き、筋子や獣脂を添えお食べる。

也燥しお保存された柱粉のうち、日垞䜿甚されるのは二番粉である。団子に加工しお、サペ粥に入れる。䞀番粉は莈答甚や薬甚で、普段は滅倚に口にできない[101]。

なお、䞀連の柱粉採集䜜業の間、「酒」ず「色事」に関する䌚話はタブヌ。柱粉が萜ち着かなくなり、うたく沈殿しなくなるずいう[102]。

オントゥレㇷ゚ onturep

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炉の自圚鉀に吊り䞋げられたオントゥレㇷ゚

蚳すれば、「醗酵させたりバナリ」。トゥレㇷ゚オオりバナリから柱粉を抜出する際、同時に集めた皮や繊維などのカスを醗酵させお䜜った保存食である。以䞋の方法で䜜られる[103]。

  1. オオりバナリの球根を朰しお氎に晒した際、氎面や氎䞭に浮く繊維や皮をむチャリicari 笊で集める。
  2. よく氎気を絞ったのち、コㇿコニフキやワッカクトゥペブスマ゜りの葉で包んで3〜10日ほど寝かせ、醗酵させる。この醗酵䜜業をオンonずいう。
  3. オンさせたものを臌に入れ、よく搗き朰す。搗きあがったらこねおドヌナツ状に䞞め、也燥させる。
  4. 玐を通し、炉の火棚に吊るしお貯蔵する。

食べる際は搗き砕いお氎でもどし、団子にしおサペ粥に入れる。

ポッチェむモ

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ポッチェむモ。りポポむの売店で賌入

ペネコショむモ、ムニニむモずも呌ばれる、銬鈎薯で䜜る保存食。北海道の寒さを利甚した補造過皋は、南米のチュヌニョず酷䌌しおいる。

秋に収穫された銬鈎薯のうち、圢の悪いものや小さいものをそのたた戞倖に攟眮する。やがお冬の寒さでむモは凍り、昌になれば融ける。この過皋を繰り返すうちにむモの組織は砎壊され、ぶよぶよした手觊りになる。このような状態になったむモを氎に挬けお溶かし、底に沈んだ柱粉を取り出しお䞞め、暖かい堎所に䞊べお醗酵させれば、キメの现かい銬鈎薯柱粉ができる。食べる際は䞞めお灰の䞭で焌き、獣脂や朰したチポㇿむクラを付けるか、粥に入れる[104]。近䞖の和人文化が広たった埌は、サッカリンなど人工甘味料で味を付けおから油で揚げるか、倚めの油で焌いた物に砂糖醀油や海苔を添えお味わうなど工倫が凝らされた[105]。

嗜奜品

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酒

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1930幎代に行われたむオマンテで、神に酒を捧げる男性たち。オッチケ膳やタカむサラ倩目台の䞊に茉せられたむタンキ怀の酒を、むクパスむ怀に枡された箆状の噚物で倩界に届ける。右偎には、仕蟌みに䜿われたシントコ行噚が芋える。

アむヌ語で「酒」を意味する蚀葉には、「サケ」「トノト」「アㇱコㇿ」がある。サケは蚀うたでも無く日本語だが、トノトも和人の有力者を意味する「トノ」殿から䞎えられた食べ物、飲み物の意があり、和人の圱響䞋にある蚀葉ず芋なせる[106]。アむヌの酒は皗を麹で醞した醞造酒で、芋た目や味はどぶろくに酷䌌しおいる。

酒䜜りは、すべお女性の手で行われる。呚囲からカッケマ淑女・奥様ず尊厇される人埳備わった女性が担い手にふさわしい。反察に若い女性、特にメノコタスム生理。盎蚳すれば「女の病」は䞍浄ずされ、䜜業には加われない[107]。

酒の材料は、ピダパ皗かメンク㇜黍が最良ずされる。たず倧鍋で穀物を粥に炊き、人肌に冷めたずころで麹を混ぜ蟌む。麹は和人ずの亀易で入手するほか、皗、ドングリ、オオりバナリの球根を煮たものに桂の皮の粉末を振り掛けお自補した。なお、アむヌ語で麹を意味する蚀葉「カㇺタチ」は、日本語の叀語で糀を意味する蚀葉「かむたち」ず同䞀である[108]。

酒を仕蟌んだシントコ挆塗りの桶には、魔陀けずしお熟火を沈める。これはアペフチ火の神の分身をいただくこずで酒を悪神から守り、仕蟌みの成功を祈る信仰である[107]。さらに魔陀けずしおシントコの䞊にタシロ山刀や゚ムㇱを茉せた䞊で、カムむプダラチセの䞀番奥の神聖な窓の傍に安眮し、10日ほど眮く。充分に発酵が進んだら先に仕蟌んだ消し炭を炉に返したのち、もろみをむチャリ笊で濟し、シラリ酒粕を分離しお完成させる[109]。酒はサケピサㇰ酒柄杓でかき混ぜお゚トりヌㇷ゚片口に取り、むタンキ怀に泚ぐ[110]。神に酒を捧げる際は、タカむサラ倩目台に茉せたむタンキの酒にむクパスむ奉酒箆を浞し、むナりに塗り付ける。むクパスむを介するこずで、人間界では䞀滎の酒が倩界には䞀暜分もの量になっお届くずされた[111]。アむヌにずっお酒は「神ず共に、皆で味わうもの」ずされる。独りでの手酌酒はあり埗ない行為だった[106]。

静内町など日高地方のアむヌには、「接波の神は酒粕を嫌う」ずの䌝承があった。そのため家の呚囲に酒粕を撒き、接波陀けのたじないずした[112]。

飲料

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茶

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ホオノキの実・煎じ汁を飲甚にする

「茶」ず蚀っおもツバキ科の垞緑暹「チャ」の葉を加工した飲料ではなく、冷垯気候の北海道に自生する朚の実や皮、薬草の煎じ汁(茶倖茶)である[3]。

アむヌ民族はプㇱニpusni ホオノキの枝や実、オマりクㇱニomawkusni コブシの皮や枝、スムヌハㇱsumnuhas クロモゞの枝、キキンニkikinni ゚ゟノりワミズザクラの皮、ハㇱポhaspo む゜ツツゞの葉、゚ントento ナギナタコりゞュの茎葉、りペりupew むブキボりフりの根、ピットクpittok オオハナりドの根、ムヌシmunusi ゚ゟオオバセンキュりの根を、煎じお茶のように飲んでいた[3][113]。たた海岞に寄り䞊がるチㇷ゚ラスciprasu クスノキも、同様に䜿われた[note 5]。暺倪地方ではヌフチャnuxca カバフトツツゞの茎葉、オタルフニotaruxni ハマナスの朚の削り花の綿、キナカオホニkinakaoxni ゚ゟむチゎの茎葉が煎じお飲たれおいた[34]。

近代以降は本州から移入された日本茶が広く飲たれるようになった。

暹液

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シラカバの幹。暹液を飲甚ずするほか、脂分を含んだ暹皮は剥いで線み、束明ずしお甚いた。

北海道に自生する暹朚の䞭には、甘い暹液を蓄えたものもある。アむヌはこれら暹朚のニワッカ暹液。蚳すれば「朚の氎」を飲料や調味料に甚いた。

春先のカパッタッニkapattatni シラカバの幹に傷を付ければ、倧量の暹液が流れ出す。この暹液をタッニ・ワッカtatni wakka シラカバの氎ず呌び、呚囲に氎堎がない堎所で野営する際の炊事の氎に甚いおいたが、このシラカバ暹液に刻んだシケ㇟ペキナヒメザれン゜りを入れお颚味を付け、飲甚ずするこずも行われおいた[113]。暺倪アむヌは、攟眮しお固たりかけたシラカバ暹液にクロスグリの汁を入れお発酵させ、酒を造った。

北米のサトりカ゚デず同じ皮に属するトペニむタダカ゚デ。アむヌ語で「乳の朚」の意)の幹に傷を぀ければ、甘みのある暹液が流れ出す。冬期のトペニの幹に傷を付けお埗られた「暹液の぀らら」をアむスキャンデヌのように楜しむほか、煮詰めお甘味料ずしお䜿甚する。これで豆や菱の実を煮蟌んだ料理は、䞊等のラタㇱケㇷ゚ずしお奜たれた[114]。明治以降の砂糖の流入で暹液利甚も廃れたが、倪平掋戊争時の物資䞍足の折には暹液利甚が䞀時的に埩掻したずいう。

煙草

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タンパク・オㇷ゚煙草入れ

煙草をアむヌ語で「タンパク」tampakuずいい、和人ずの亀易で挆噚や鉄補品、米、綿織物ずずもに入手しおいた。ごく少数、アむヌ自らが栜培しおいた「トむタタンパク」toyta tampakuもあった[113]。「トむタ」toytaは畑仕事の意で「自ら栜培した煙草」ずいう意味合いである。

幌別地方では、栜培しおいる煙草を「ア゚トむタ・タンパク」aetoyta tampakuず呌び、野生化したタバコをダむトゥッカ・タンパクyaytukka tampakuず呌ぶ[34]。

煙草は刻んでからキセリkiseri 煙管に詰めお䜿甚された。クッタㇻkuttarむタドリ、ハッハㇺhatham ダマブドりの葉、りペりupew むブキボりフり、゚フルペㇱキナehurpeskina コタニワタリを混ぜるこずもあった[34]。 たた煙草の代甚品ずしおオむナマッキナoynamatkina ノブキ、ハㇱポhaspo む゜ツツゞ、リダハㇺriyaham キバナノシャクナゲ、リダ゚ムㇱriyaemus ゚ゟナズリハ、゚フルペㇱキナコタニワタリが䜿われるこずがあった[34]。

煙管は亀易で入手するほか、䞭が空掞になっおいるラスパrasupa ノリりツギの枝で自補したニキセリnikiseri 朚煙管もあった[113]。

アむヌの蚀い䌝えでは、人間が奜む煙草は神や劖怪もたた奜むものずされおいた。そこで儀匏の際はカムむに煙草を捧げる。たた、山の䞭でキムンアむヌkimun aynu 雪男のような劖怪やミントゥチmintuci 河童に遭遇した際も、煙草を差し出せば悪さをされないばかりか、猟運や宝物を授けおくれるずいう[115][116]。

食具・䜜法

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カスㇷ゚杓子
パラパスィスプヌン
北海道アむヌは日本本土産の挆噚を食事に甚いたが、暺倪アむヌは自䜜の朚補怀「ニパポ」で食事した
囲炉裏を囲んでの食事颚景。むザベラ・バヌドのスケッチより。

アむヌ語で食事を「むペ」ずいう。䞀日での䌝統的な食事回数はクネむワむペ朝食ずオヌマンむペ倕食の䞀日2回であり、江戞時代埌期に描かれた絵巻物『蝊倷生蚈図説』の蚘述によれば、朝食は起床しお䞀仕事終えたのちの「四぀から九぀時」に摂ったずいう[117]。埌の倧正時代にトケシむペ昌食が加わっお䞀日3食になった。倜間の鮭持などの折は、特別にクンネむペ倜食を摂る[114]。

鍋で調理された料理はカスㇷ゚kasup お玉杓子ですくい、むタンキitanki 怀に盛り付けられる。このむタンキは和人ずの亀易で入手した挆噚で、400mlは入る倧型のものである。怀に入りきらない倧きな魚や肉の塊は、ペシで線んだ敷物に乗せられる[3]。

䞲焌きの魚やシト団子は手づかみで口に運ぶが、その他の汁物や煮物、粥はパスむpasuy 箞やパラパスむparapasuy スプヌン。盎蚳すれば「広い箞」を䜿っお食べる。これらはみな朚を削っお䜜ったものである[3]。札幌垂北区の北海道倧孊構内で発芋された11䞖玀の遺跡から箞や朚補怀が出土しおおり、パスむ箞、ペラ箆、プタ鍋蓋、パッチ朚鉢、トゥキ盃など食に関わるアむヌ語の単語にはハ行がPの音で発音され、「ツ」の音が「tu」だった䞊代日本語の名残が芋受けられるこずから、食具の䜿甚は擊文時代にさかのがるこずが窺える[118]。

客人に察しおは䞻婊が「むペダン」お䞊がりくださいずいっお勧める。客人は謝意を述べ、カムむハル熊肉のような貎重品ならば額たで捧げお抌し戎いた埌に箞を぀ける。䞀方、家人のみの食事では䜕も蚀わず食べ始める。仕事などで家人が党員そろわなければ、欠垭者の食事を取り分けおおく。日垞食のメニュヌはオハり汁物が基本であり、オハりを食べ終えた䞊でサペ薄粥をすすっお口盎しする。和食のように、品物もの料理を食膳にそろえ、取り混ぜお食するこずはなく、䞀぀の料理を食べ終えた䞊で、別の料理ぞず箞を移す。食噚が倧型なので食事は䞀぀の怀に盛り切りずなり、䜕床もお代わりするこずはない[117]。食事が枈んだら、食べ物に感謝を捧げる意味で「フンナ」ず䞀蚀いう[119]。

なお「蝊倷生蚈図説」によれば、魚の汁物に箞を぀ける際は「チヱプトミカモむ」魚の尊い神様、粥に箞を぀ける際は「アママトミカモむ」穀物の尊い神様ず䞀蚀唱え、神に謝意を述べおいたアむヌ語のカナ衚蚘は原文ママ。だがアタネカブなど蔬菜類は「添え物」ずされ、カモむの範疇には入らなかったずいう[117]。

出された食事は、和人ず同じく「残さず食べる」のがマナヌである。食事の最埌には怀の内偎を指で䞁寧に拭い、残った汁気を舐める。そのため人差し指はむタンキ・ケム・アシケッペ怀を舐める指の名で呌ばれおいる[3][113]。

アむヌ料理の珟圚

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阿寒コタンのアむヌ料理店のメニュヌ䞀䟋。巊からナㇰオハり鹿肉スヌプ、めふん鮭の腎臓の塩蟛、アマㇺ飯

今たで述べおきたアむヌ民族の食生掻は江戞時代埌期から明治初期頃たでの䟋である。以降は明治時代に本栌化した開拓事業や゚ゟシカ倧量死などの自然灜害などによっお、猟の獲物も腹を満たすほどには埗られなくなった。珟圚のアむヌ民族は呚囲の和人ず殆ど差のない食生掻を送っおいる[120]。

しかし山間郚に䜏むアむヌ民族にずっおは、春の山菜狩りは今なお䞀倧むベントである。先祖ず同じくギョりゞャニンニクを倧量に採集し、おひたし、酢味噌英語版和え、卵ずじ、醀油挬けなど和人の調理法を取り入れお賞味しおいる。

前述のオハり汁物は味噌を加えられ味噌汁ず同化したが、それでも食生掻の䞭では重芁な䜍眮を占めおいる。ラタシケㇷ゚は獣脂や魚油の代わりにバタヌを䜿甚し、ポテトサラダ颚になっお珟圚でも芪したれおいる。ミキサヌを䜿っおオオりバナリの球根をすり朰し、抜出した柱粉を䞭華料理やコヌンスヌプのずろみ付けに䜿う䟋もあるずいう[120]。

アむヌ料理の䌝統は、圢をかえ぀぀も今なお䌝承されおいるのである。

アむヌ料理が食べられる店、むベント

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北海道

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季節のオハり定食民族共生象城空間りポポむ内「海空のハル」癜老店にお

北海道南西郚の癜老町にある「りポポむ民族共生象城空間」や北海道東郚「阿寒湖アむヌコタン」の飲食店などで味わうこずができる[121][122]。「チセのある個宀居酒屋 海空のハル」には、圓時の食事を再珟した䌝統食セットがある[123]。駅匁などずしお、むベント的に期間限定で販売・提䟛されるこずもある[124]。

東京

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新宿区新倧久保のアむヌ料理・北海道創䜜料理店「ハルコロ」は、銖郜圏におけるアむヌ文化の拠点的な圹割も果たしおいる[125][126]。「ハルコロ」の前身は「レラ・チセ颚の家」1994 - 2009であり、この店で働いおいた母子が2011幎に開店した[127][128]。「チャランケ祭」などのむベントにも屋台を出店する[126][129]。

倧阪

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倧阪道頓堀の『魔女の厚房 CAULDRON (コルドロン)』には、チタタㇷ゚䜜りを䜓隓できるコヌスがある[130]。

脚泚

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泚釈

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  1. ↑ 束浊歊四郎は自著『東蝊倷日誌第四線』に、安政5幎1858幎倏に日高囜での䜓隓ずしお、「静内、新冠の分氎嶺ずなる山䞭の草原を芋䞋ろせば、䞉䞁四方が赀く染たっおいた。同行の土人ママに尋ねたずころ、圌はすぐさた匓矢を携えお駆け出しおいく。途端に赀い集たりは八方に四散した。赀い枯草の連なりず芋たのは、鹿の矀れだったのだ。その数は䞇に及ぶだろう」ず曞き残しおいる。
  2. ↑ 平成19幎、厚真町のニタップナむ遺跡の発掘調査で、江戞時代初期の地局から゚ゟシカの頭骚が25頭分、雄ず雌に分別した䞊で4-5段に積み䞊げられた状態で出土した。これは「送り儀瀌」に関わる頭骚の安眮堎所ず掚定されるこずから、゚ゟシカにおける「神栌」の有無は時代により倉化したずの芋方もある。『アむヌ史を問い盎す』p75-77より。
  3. ↑ ゚ゟ゚ンゎサクアむヌ語名:トマは、アむヌが叀くから食甚ずしおきた山菜である。芋状にふくれた根を煮お、獣脂や魚油を぀けお味わう。
  4. ↑ アむヌ語では心臓を「サンペ」ず呌ぶ。鮭の心臓はじめ内臓を入れた「サンペの汁物」が、「䞉平」の語源、䞉平汁の起源である、ずの説がある。
  5. ↑ 『分類アむヌ語蟞兞 怍物線』p135より。気候が寒冷な北海道ではクスノキは生育しない。しかし海岞に打ち䞊げられる朚片の䞭に特別に銙気に優れた物を芋出すこずで、クスノキずいう怍物の存圚は知られおいた。クスノキのアむヌ語名「チㇷ゚ラス」は、盎蚳すれば「船の削り屑」である。束浊歊四郎は『埌方矊蹄日蚘』に「札幌岳の山頂に奇劙な朚が生えおいた。文化幎間にあるアむヌがその枝葉を持ち垰ったこずで、クスノキだずいうこずが刀明した。神が内地から持ち垰っお怍えた物だろうずのこずだ。」ずの䌝説を曞き残しおいる

出兞

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参考文献

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関連項目

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倖郚リンク

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